起訴された案件だけで7人が死亡している「北九州監禁連続殺人事件」。
もっとも凶悪な事件はなぜ起きたのか。新証言、新資料も含めて、発生当時から取材してきたノンフィクションライターが大きな“謎”を描く(連載第49回)。
新たな“金づる”として目をつけられた男性
松永太と緒方純子は、これまで松永が結婚をちらつかせることで“金づる”としてきた末松祥子さん(仮名)が、1994年3月31日に大分県の別府湾で水死したことから、新たな収入源を見出す必要に迫られた。
まずは緒方が母親の和美さん(仮名)に送金を頼むことで急場をしのぐことにしたが、それだけでは心もとない。そこで松永が目をつけたのが、福岡県北九州市の不動産会社に勤める広田由紀夫さん(仮名)だった。
由紀夫さんは松永らが福岡県柳川市から逃亡し、最終的に北九州市に辿り着いた1992年10月に、彼らが住む「熊谷アパート」20×号室を仲介。その後も、1993年10月までの間に、松永らに複数の他人名義の部屋を仲介してきた。
後の公判での検察側の冒頭陳述では、由紀夫さんを標的とした理由と、取り込むための工作の流れについて、以下のことが述べられている。
緒方を“上客”と意識していた由紀夫さん
〈被告人松永は、当初、甲女の父(由紀夫さん)との接触はすべて被告人緒方に任せ、自ら甲女の父と接触することはなかったが、被告人緒方の報告により、甲女の父には比較的安易に他人名義での賃貸借契約を仲介するようないい加減さがあると思っていた。
さらに、平成6年(1994年)3月31日に丙女(末松祥子さん)が死亡した際、被告人両名は、急きょ丙女名義で賃借していたDマンション(「三郎丸ビル」=仮名)を退去しようとしたが、前記のとおり指名手配中であったことから退去点検の立会を避けようとして、被告人松永は、同緒方に指示して、甲女の父に謝礼を与え、その結果、上記立会を免れることができたことがあり、被告人松永は、同年4月ころ、同緒方に対し、「甲女の父はカネに弱く、カネのためならなんでもするだろう。嘘の儲け話にもすぐに飛びつき、カネを騙しやすいのではないか。」などと話した。
そして、被告人両名は、甲女の父を騙す相談をした上、平成6年4月ころ、同緒方が甲女の父に対し、「新会社を設立するので投資して儲けないか。」などと嘘の投資話を持ち掛けたところ、甲女の父から現金30万円を簡単に入手することができた〉
由紀夫さんはそれまで数多くの部屋を斡旋してきた緒方に対して、いくつもの部屋を借りる余裕のある“上客”との意識を持って接しており、以前から緒方に対して、借金を抱えていることを打ち明けたり、「いいカネ儲けの話はないですかね」などと相談するなどしていた。そうしたことから、緒方の持ちかけた投資話にすぐに乗ってしまったのである。