この30万円というのは、前回でも取り上げた、「田中」こと緒方が由紀夫さんに持ちかけた、当初の“儲け話”への出資金だったと推測される。
はじめに30万円、さらにパソコンや周辺機器で70万円
「田中さんは1歳くらいの赤ちゃんを抱っこしていました。『かわいいですね、お子さんですか』と言うと、『はい』って言っていました。それで福岡に住んでいたけど、旦那さんと別居していまはこっちに来ていて翻訳の仕事をしていると話していました。宮崎さんは××(電機メーカー)でコンピューターの仕事をしていたけど、人間関係が嫌になって会社を辞め、いまは地下に潜ってコンピューターの仕事をしていると説明し、『いつもコンピューターに向かってばかりいるから、人を見れる(占える)ようになった』と言っていました」
智子さんが出身地を尋ねると、「宮崎」こと松永は口ごもりながら「熊本のほう」と答え、「田中」こと緒方は「久留米」と答えていた。結局、智子さんは、新会社の業務内容についてはよくわからないまま、30万円を出すことにしたのだった。
「それから2人はうちにもちょくちょく遊びに来るようになり、4人でカラオケやスナック、居酒屋に行くようになりました。うちに来るのは決まって夜から明け方にかけて。うちでは宮崎さんは競馬の話をしていました。『智子ちゃん、競馬で儲かる話って分かりますか? ねずみ講式に計算していくと……』という感じで、いつかこの確率で本命が来るのだと言っていました」
94年6月になると松永と緒方、それに由紀夫さんの3人で「江南町マンション」を事務所として借りており、そこを何度か訪れた智子さんは、室内の白いボードに、競馬の予想が書かれているのを目にしている。
「事務所を借りると、由紀夫さんは今度は、仕事に必要だからパソコンを買ってくれないかと言い出しました。そこでスキャナーやプリンター、デスクなどの周辺機器も含めて70万円くらいのものを買ってあげました」
そうしたなか、7月になると由紀夫さんが豹変したのだと智子さんは語る。
おまえ呼ばわりするようになり、暴言を言うように
「それまで私を呼ぶときは、ねえねえ、って言ってたのが、おまえ呼ばわりするようになり、暴言を言うようになったんです。『おまえは表面ではニコッとしてるけど、腹の底ではなにを考えてるのか分からん』とか、『自分の子どもばかりひいきしてる』と言うようになりました。目が充血し、顔色も土気色で怖い表情になり、クスリの中毒患者のようでした。風呂もろくに入ってなかったと思います。7月の前半くらいから毎日朝帰りするようになり、髪は乱れ、疲れ切っているようでした。また、落ち着いていると思うと、急に態度が豹変し、怒鳴るようになりました。由紀夫さんは、『俺は糖尿病で目が見えん。うつ病だ。もうそんなに長くない』などと口にするようになり、インシュリンの注射を打っていると言っていて、腕に注射の痕がありましたが、病院に通っている様子はありませんでした」
由紀夫さんの突然の変貌ぶりに驚いた智子さんは、「田中さん」に相談する。