〈外から走ってくる人が「つなみだ」とさけんでいる声が聞こえ、私は屋上に走ってひなんしました。その時はもう、つなみが来ていて車やがれきが流れてくるし、人はおぼれているしで本当に、こわくて悲しい気持ちでいっぱいでした〉
2011年4月下旬、そんな作文を書いてくれた女の子がいる。宮城県名取市で震災発生当時、小学6年生だった優香さんだ。
優香さんに会ったのは名取市の小学校の体育館=避難所だった。この時期、まだ学校は再開しておらず、仮設住宅もできていなかった。彼女の家は名取市閖上。津波で一帯すべてが流された地域だった。
当時、震災から1カ月。被災地の子どもたちは何を見て、どんな思いでいるのか。そんな思いから、現地に入り、自身の体験を作文に書いてくれる子はいないかと訊ねて回った。名取市、仙台市、石巻市。難しいことは見込んでいたが、本人および保護者は積極的な人が少なくなかった。書いてもいいという子はわずか2日間で20人以上になった。
あの子たちは今どうしているのか
後日、対象範囲を岩手や福島にも広げた結果、作文は115人集まり、『つなみ 被災地の子どもたちの作文集完全版』という作文集に実現した。
あれから10年。あの子たちはどうしているのか。全員とまではいかないが、あの子たちの「その後」をあらためて訊ねてみることにした。
震災から5年目に書いていた“将来の夢”
「ご無沙汰しています!」
夕暮れどきの仙台駅近くのカフェ。ワイン色のセーターに身を包んだ優香さんは、すっかり妙齢のおねえさんになっていた。現在、大学4年生。まもなく卒業だが、進路はしっかり決めていた。昨年、教員採用試験に合格し、この春から宮城県内での配属が決まっているという。
教員になる夢は、じつは5年前の2016年にも作文で記していたことだった。震災から5年目に書いてもらった『つなみ 5年後の子どもたちの作文集』で当時高校2年だった優香さんは将来の夢を綴っていた。