「ミスチルやBUK-TIK、TUBEとかも試聴会に来ていて、写真も撮らせてくれました。バンドのサインは基本、全員が書いてくれましたね。これはアイドルも同じですが、デビュー前後の新人さんに断られることはほとんど無かったです。
ミュージシャンと一番会えたのはニッポン放送前。サザンオールスターズの桑田佳祐、井上陽水、長渕剛も全部あそこだった。屋内に一般公開スタジオがあったFM東京も穴場で、ユニコーンや電気グルーヴ、B’zに会えた。
ラジオ日本やFM群馬もビル内にレコーディングスタジオがあって出待ちがしやすく、オフコースや男闘呼組が来てました。他だとやっぱり歌番組で、よく出待ちをしていた『ミュージックステーション』ではX JAPANにも会えましたね」
80年代アイドル黄金時代
80年に松田聖子や田原俊彦がデビューしており、82年には中森明菜、小泉今日子、早見優、松本伊代、堀ちえみ、シブがき隊らが続いた。80年代前半の芸能界は、空前のアイドル黄金時代だった。
「中森明菜も、デビュー曲『スローモーション』の頃はまだイベントも満員じゃなかった。当時のイベントって歌が終わった後、レコードを買ってくれたファンの方に握手会があって、サインを配ったりするんですが、僕たちは絶対に最初は並ばなかった。
そこで配られるサインって、実はマネージャーが書いてたりしましたからね(笑)。用意したサインが無くなると、まだもらってない人に目の前で書いてくれるから、間違いなく本物が手に入るんです」
オーディション番組だった『スター誕生!』も撮影OKだったため、頻繁に通っており、デビュー前の段階で撮影に行くことも多かった。
「小泉今日子なんかもデビュー前から見ていましたけど、銀座の山野楽器でミカン箱の上に立ってキャンペーンをしてましたからね。デビュー前後のアイドルはみんなそんな感じで、山野楽器やサンシャイン池袋の噴水広場のイベントが多かった」
そんな当時、すでに別格だったのが松田聖子だ。
「僕がカメコを始めた頃にはもうトップアイドルでしたからね。サンミュージックも厳しいわけじゃなかったんですが、聖子ちゃんだけはほとんどサインをしないことで有名でした。ただ、必ず握手はしてくれるんです。
その辺は人それぞれで、サインはダメでも握手はOKだったり、写真も単体はダメでもツーショットならOKとか。工藤静香なんかはシングルジャケットにはサインするけど、色紙には書かなかった。
そういえば、仲間内で『サインしない人』で有名だったのが渡辺美里さん。十数回チャレンジして1回もサインしてもらえなかった。まあ、一緒にいた女の子にはサインしていたので、正確には『男にサインしない人』でしたけど」