ヤンチャに見えた男性アイドルたちもカメコには優しかったという。
「グループの人数が多くなってくると全員一気にもらうのは難しくなるんですが、デビューがちょうど試聴会の日だったのがチェッカーズ。誰だかわからなかったけど7人全員がサインを書いてくれた。もう再結成がないってことでは貴重ですよね」
現在は写真やサインを厳しくコントロールしているジャニーズ事務所のタレントも、当時はおおらかな対応だった。
「シブがき隊はテレビ局の外で声をかけてもサインしてくれました。あの頃のジャニーズは会社の方針というより本人次第で、光GENJIの諸星(和己)や、『天才てれびくん』に出ていた頃の生田斗真も普通にサインに応じてくれた。生田は追っかけの女の子たちから『男に写真撮らせちゃっていいの?』とか聞かれても、『いいよ、別に』って。
あ、でも少年隊の東山(紀之)だけは優しくなくて、植草(克秀)君が色紙にスペースを残してサインしてくれたので、じゃあここにって頼んだら、『もう植草が書いたんだからいいだろ』って行っちゃった」
まだ牧歌的な時代だったこともあり、タレントや事務所側の対応も好意的なものが多かったという。
「当時だと河合奈保子さんが所属していた芸映プロダクションなんかは優しくて有名でした。新曲レコードのポスターにサインを入れて配ってくれるんです。他にも菊池桃子、石川秀美、西村知美とかは好印象でした。オスカーもC.C.ガールズ、後藤久美子、藤谷美紀あたりまでは全然OKで、厳しそうなイメージの米倉涼子もキャンペーンガールで水着を着ていた頃はニコニコでした。
他にもテレ朝で明石家さんまさんがMCのクイズ番組があって、そのアシスタントをやっていたのが遠峯ありさ。改名前の華原朋美です。当時は所属事務所の社長さんの家に電話をするとスケジュールまで優しく教えてくれたんです。さすがにあの頃でも珍しい対応でした。
もう一人特殊だったのが宮沢りえで、ステージママだったお母さんと仲良くなったので、かなり自由に撮らせてくれましたね」