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 ヤンチャに見えた男性アイドルたちもカメコには優しかったという。

「グループの人数が多くなってくると全員一気にもらうのは難しくなるんですが、デビューがちょうど試聴会の日だったのがチェッカーズ。誰だかわからなかったけど7人全員がサインを書いてくれた。もう再結成がないってことでは貴重ですよね」

千葉麗子。撮影月/1991年1月、撮影場所/芝公園。東日本大震災をきっかけに脱原発運動に参加し(その後、決別)、有名になったチバレイも元アイドル。 

 現在は写真やサインを厳しくコントロールしているジャニーズ事務所のタレントも、当時はおおらかな対応だった。

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「シブがき隊はテレビ局の外で声をかけてもサインしてくれました。あの頃のジャニーズは会社の方針というより本人次第で、光GENJIの諸星(和己)や、『天才てれびくん』に出ていた頃の生田斗真も普通にサインに応じてくれた。生田は追っかけの女の子たちから『男に写真撮らせちゃっていいの?』とか聞かれても、『いいよ、別に』って。

 あ、でも少年隊の東山(紀之)だけは優しくなくて、植草(克秀)君が色紙にスペースを残してサインしてくれたので、じゃあここにって頼んだら、『もう植草が書いたんだからいいだろ』って行っちゃった」

牧瀬里穂。撮影月/1991年1月、撮影場所/六本木。宮沢りえ、観月ありさとともに3Mと呼ばれた牧瀬。この頃はドラマ『二十歳の約束』に主演するなど絶好調の時期。

 まだ牧歌的な時代だったこともあり、タレントや事務所側の対応も好意的なものが多かったという。

「当時だと河合奈保子さんが所属していた芸映プロダクションなんかは優しくて有名でした。新曲レコードのポスターにサインを入れて配ってくれるんです。他にも菊池桃子、石川秀美、西村知美とかは好印象でした。オスカーもC.C.ガールズ、後藤久美子、藤谷美紀あたりまでは全然OKで、厳しそうなイメージの米倉涼子もキャンペーンガールで水着を着ていた頃はニコニコでした。

 他にもテレ朝で明石家さんまさんがMCのクイズ番組があって、そのアシスタントをやっていたのが遠峯ありさ。改名前の華原朋美です。当時は所属事務所の社長さんの家に電話をするとスケジュールまで優しく教えてくれたんです。さすがにあの頃でも珍しい対応でした。

 もう一人特殊だったのが宮沢りえで、ステージママだったお母さんと仲良くなったので、かなり自由に撮らせてくれましたね」

河合奈保子。撮影月/1991年1月、撮影場所/芝公園。西城秀樹の妹役としてデビュー。豊満な体型がトレードマークだったが、この頃は痩せてすっかりおねえさんに。
後藤久美子。撮影月/1995年12月、撮影場所/日比谷。元祖国民的美少女。この時、すでに子供がいるとは思えないほど若くてきれいだった。まさに永遠の美少女。