「歌番組ははがきで応募して、当たらなければ当選した人から当日の会場で買ったりしました。コンサートもありましたけど、毎回チケットを買うわけにはいかないし、望遠レンズも持っていなかったので、会場には入らず裏口で出待ちをしてました。
そんな中で一番芸能人と会いやすかった場所はラジオ局の出待ち。生放送も多かったので、新聞のラジオ欄をチェックして放送時間に行けば、たいていの芸能人に会えました。あとは舞台終わりの出待ちや、東京駅や羽田空港とかの移動狙い。僕は東京近郊だけの活動だったので電車賃くらいしかかからなかったけど、地方まで出かけていく仲間もいましたよ」
80年代初頭のアイドルは、まずシングルレコードを発売し、それをいかに多くの人に知ってもらうかが勝負だった。プロモーションのやり方が限られていた時代、影響力が大きかったのはやはりメディアの王様だったテレビ。渋谷のNHK、市ヶ谷の日本テレビ、河田町のフジテレビ、六本木のテレビ朝日、赤坂のTBS、神谷町のテレビ東京と、ほぼすべてに通ったという。
「昔は民放でもNHKでも簡単に社屋に入ることができたんです。テレ朝なんかロビーの椅子に座って待ってましたからね。それで、局内に可愛い子がいればタレントさんだろって感じで、手当たり次第に『すいません、タレントさんですか』って声をかけてました。
そのうち警備員さんとも顔なじみになって、こっそり楽屋の前まで入れてもらったり、色紙を預かってサインを貰ってくれたりということもありましたね」
当時のアイドルと言えば、まずはレコードデビューが王道だったが、カメコの間では、知る人ぞ知る狙い目のイベントがあったという。
「月に1回、その月にレコードを出した新人が音楽をかけてもらうためにラジオ局に集まる『新人試聴会』というのが開かれていたんです。その日を狙ってラジオ局に行けば一気に10人、20人に会うことができた。一日で中山美穂、南野陽子、浅香唯と会えた月もありましたね」
新人試聴会にはアイドルだけでなく、新人時代のバンドやミュージシャンもやってきた。闇雲に相手に色紙を渡してバンド名を書いてもらい後からオリコンをチェックする。デビュー前で名前も知らなかったバンドが後に有名になったケースは数えきれない。