現場に通い詰めるうち、同じように通ってくる人たちと情報交換をするようになり、自然にいくつかのグループが生まれていた。斎藤さんは自営業の実家で働いていたため、比較的、時間も自由になったが、仲間の中にはサラリーマンの仕事の合間を抜けて通うような猛者も多かったという。
「『カメラ小僧』みたいな呼び方をされるのは80年代半ばを過ぎてからだったかもしれません。カメコには2種類いて、ひとつはとにかく写真を撮りたいというタイプ。何十万円もする高価なカメラや望遠レンズを揃えて、コンサート会場やホールでの公開録画、地方のイベントなんかもよく出かけていました。
もうひとつはいわゆる出待ちのタイプで、本命がサインだった僕はこっちです。小さなコンパクトカメラを持って、本人に『すいません、写真撮らせてください』って話しかけるんです。時々、カメコのグループ内の一人だけサインが貰えなかったりして、『お前が名前まで書いてもらったせいで、俺だけもらえなかったじゃないか!』」とかモメたりもしましたけど」
斎藤さんには特別な「推し」がいたわけではなかったというが、では何のためにカメコを続けたのか。
「有名人に直接会ってサインをもらって写真を撮るっていう行為じたいが楽しかったんです。出待ちの場合、何時間待っても会えないこともあるし、出てきてもタレントさんが嫌だと言えばダメなので無駄も多かったんですが、その分、貰えた時のうれしさは凄かった。
90年代前半の頃にはメディアに出ていたほとんどのアイドルに会っていたし、オリコンベスト100に入っていた8割くらいはサインか写真をもらうのに成功していて、『有名人のサインを日本一持っている男』って呼ばれたこともありました。僕にとってカメコの趣味は、損得抜きで夢中になれる楽しみだったんです」
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