カメラ小僧を続けた理由
人気が出たアイドルには、熱狂的なファンである親衛隊が付きものだったため、タレントに直接、声をかけるような行為は目を付けられやすかった。
「僕らにとって親衛隊はマネージャーより怖い存在だったので、基本、避けるようにしてました。だけど岩井小百合の親衛隊とだけはなぜか仲良くなって、公開録画のチケットを貰ったりしてお礼に撮った写真を必ずあげてました。でも、そうなるとコンサート会場に入って親衛隊と一緒にずっと応援しなきゃならない。出待ちをするチャンスがなくなるので困りましたね」
80年代半ばにはおニャン子クラブが登場し、出待ちだけでなく、様々な場所でアイドルを追いかけて写真を撮るという行為が増えていった。
「当時多かったのは堀越学園や日出女子学園といった芸能人コースがあった高校狙い。通学路の途中にある歩道橋の上から望遠で撮るのを専門にやってる人たちもいました。僕が行ったのは入学式と卒業式。だいたい1学年にアイドルが15、6人いて、入学式ではあの沢尻エリカもまだ可愛らしい笑顔で写真を撮らせてくれましたよ(笑)。
基本的に有名になる前の子は写真もサインも断らない。森高千里も1、2曲目の頃はものすごく優しかったし、深夜に生放送していた『11PM』の出待ちでは、カバーガールをやっていたデビュー直後の飯島直子も気持ちよく撮らせてくれましたね」
当時、斎藤さんは女性アイドルだけを追いかけていたわけではない。男性アイドル、ミュージシャン、スポーツ選手と会えるチャンスがあればどこにでも出かけていき、デビュー年の清原和博や長嶋一茂なども撮影している。他にも珍しいところでは、漫画家のパーティーで貴重なサインを集めたこともあったという。
「出版社のパーティーだったんですが、漫画家さんは顔がほとんど分からないので、片っ端からサインをお願いしました。絵を見たらドラえもんの藤子・F・不二雄先生だったり、エヴァンゲリオンの貞本義行さんだったり。知らずに書いてもらって、『好きなキャラは?』とか聞かれた時は焦りましたよ」