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“優秀な弁護士”と格差
では、ここでいう“優秀な弁護士”とは、どういった存在だろうか。
それはすなわち、陪審員の心を直接つかむことのできる弁護士に他ならなかった。真実であれ、詭弁であれ、あるいは視覚効果によってでも、法廷の空気を演出し、劇的に陪審員の心を揺り動かす。依頼人に少しでも有利になるように、あらゆる手立てを使い、手法を駆使して、一般人から抽出された陪審員にアピールする。真相究明よりも、裁判に勝ってこそのキャリアであり、高収入につながる。それこそが優秀な弁護士である。
──と、いうことは、日本の検察がすでに演出して見せたように、劇場型の立証で裁判員の心を動かす弁護士だって、これから日本に誕生してくる可能性もある。そのための研究や訓練ももっと進むことだろう。そうなると、アメリカ型の優秀な弁護士によって、死刑はどんどん回避できるようになる。それだけ弁護士の報酬も増えていく。それも優秀な弁護士を雇えるだけの経済力を持つ被告人によって。
裁判員制度は、そもそもアメリカ型の自由競争社会とこれに伴う自己責任型社会の到来を目指した構造改革路線の上に出来上がったシステムだ。
当然のことながら、死刑格差だってでてくる。貧しい人間は死刑になる可能性が高くなり、富裕層は経済力によって救われていく。
まして、裁判員という一般素人が量刑まで決めることになっているのだから。
そんな残酷な世の中が、日本にもやってくる。
そのことを、覚悟しなければならない。