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――ウンディーネ役の候補にはニーナ・ホスも挙がっていたのでしょうか?

ペッツォルト いえ、最初からパウラ・ベーアで撮影する予定でした。ただこの映画を作るなかでニーナ・ホスを思い出した瞬間もありました。というのも、ニーナ・ホスと初めて一緒に仕事をした作品『Toter Mann』(2001)でも、彼女は水のなかから登場しやはりある男性を殺そうとしている人物を演じていたので。もしかするとその当時から、私の深層意識のどこかにウンディーネがいたのかもしれない。ただしウンディーネは私の頭のなかからどんどん自立していきました。キャラクターが私の手から離れ自立していく、それはとても素晴らしいことです。

私たちが彼女に投げかける視線は必要ありません

――この映画は恋人たちの愛をロマンティックに描いてはいますが、セックスシーンについてはそれほど官能的には描かれていません。それがとても新鮮に思えたのですが、やはり年上の男性監督と、一般的にミューズと呼ばれがちな若い女性俳優との関係性を考慮したのでしょうか。

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©SCHRAMM FILM

ペッツォルト そもそも私自身、映画館でセックスシーンを見るのが好きではないんです。まるで両親の夜の営みを目撃してしまったような、非常に気恥ずかしく居心地の悪い思いがします。こうした場面を描いた映画の99パーセントはうまくいっていないと思う。もちろんニコラス・ローグの映画のように非常にうまくいった作品もありますが、そこには必ず必然的な物語がある。『水を抱く女』ではそれは必然ではなかった。大切なのは、何かを強く望み、手に入れたいと願う気持ちでした。水の下で二人がダンスをするように泳ぐシーンの方が、あからさまなセックスシーンよりずっと大事で美しいのです。

――人魚をモチーフにした映画の多くは、裸のような姿で泳ぐ美しく幻想的な女性を描きがちです。しかし監督はウンディーネの裸を映しません。それもセックスシーンを官能的に描かなかったのと同じ理由なのでしょうか。

ペッツォルト これはウンディーネが世界をどう見ているか、その視線を描いた映画です。私たちが彼女に投げかける視線は必要ありません。今の話に関する撮影秘話を少しお話ししましょう。最後、水のなかでウンディーネが再び姿を見せる場面がありますね。そこで彼女は薄いワンピースを一枚着ているのですが、実際に試してみたところ、水で濡れると、ワンピースの布が肌にぴったりとくっついて胸の形が露わになることがわかりました。私たちはそれをどうしても避けたかった。今言ったように、私たちはウンディーネの視線で世界を見たいのであり、私たちが彼女を見る必要はない。しかし彼女の胸が見えてしまえば、それはまさに男の視線になってしまう。そこでパウラ・ベーアともどうしたらよいか相談をしました。すると彼女はとても頭のよい方で、水に濡れても胸が露わにならない下着を見つけてきてくれました。こうして男の視線を介することなく無事に撮ることができたのです。