水の精霊ウンディーネ。女の姿をした精霊は人間の男に恋をするが、その愛はやがて裏切られる。ドイツロマン派の作家フケーが1811年に完成させたその物語は、ジロドゥ「オンディーヌ」やアンデルセン「人魚姫」等、時代や国籍を超え継承されてきた。
ニーナ・ホス主演の『東ベルリンから来た女』(12)『あの日のように抱きしめて』(14)で知られるドイツの名匠クリスティアン・ペッツォルトの最新作『水を抱く女』は、ウンディーネ伝説を大胆に翻案し、現代の神話として甦らせた。舞台は現代のベルリン。ベルリンの都市開発を研究する歴史家ウンディーネ(パウラ・ベーア)は、一つの愛を失うと同時に、潜水作業員のクリストフ(フランツ・ロゴフスキ)と出会い、再び愛を発見する。この水の精霊は、男を翻弄する悪女でもなければ、男に裏切られるだけの悲劇の女でもない。怒りや憎しみを抱きながら、それでも愛に生きる、生々しいひとりの女だ。
現代のベルリンに生きるウンディーネは、いったいどのようにして誕生したのか。
初めて女性の視点で捉えたウンディーネ神話
――『水を抱く女』の物語はフケーの『水の精(ウンディーネ)』が大きな発想源になっていると思うのですが、一方で、映画のウンディーネ像はむしろオーストリアの詩人、インゲボルク・バッハマンが1961年に発表した短編小説『ウンディーネが行く』に近いように感じました。監督は、バッハマンの小説についてはなにか意識されていたのでしょうか。
ペッツォルト 長いことウンディーネという神話的存在に強く惹かれていました。その思いは、過去に私の映画に主演したニーナ・ホスとの仕事のなかでより強くなっていきました。彼女とは6作品を一緒に作りましたが、男性の映画監督が若く美しい女性の俳優と仕事をすることには、常にウンディーネ的な何かがあるからです。そんななかバッハマンの『ウンディーネが行く』を読み、初めて女性の視点でウンディーネ神話を捉えることになりました。そしてこの視点でならウンディーネの映画を作れると感じた。違う視点で作っていたら、きっと前世紀的な映画になってしまったはずです。
――バッハマンの小説では、ウンディーネが人間の男たちに強い愛と憎しみを抱いています。脚本を書くうえでも『ウンディーネが行く』に大きく影響を受けたといえますか?
ペッツォルト 前作『未来を乗り換えた男』(18)で初めてパウラ・ベーアと一緒に仕事をした際、多くのジャーナリストからこう聞かれました。「彼女はあなたにとって新たなニーナ・ホスですね」と。私は非常に腹立たしい思いを抱きました。男性は常に美しい女性を選び、彼女が気に入らなくなったらより若い女性を探し、彼女を選ぶ。これこそまさに現代のウンディーネではないか、そんなことは許されないと感じたんです。憤りを感じるなかでもう一度考えてみました。ウンディーネの映画を作るならこれまでとは全く別のテキストが必要だと。その時、私の前にはバッハマンの小説があったわけです。