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「松村が夜の渋谷でパンツ一丁に」から猿岩石のヒッチハイクへ

――社会現象になる『電波少年』ですが、番組開始当初の反響はどんなものだったのでしょうか?

 最初は中学生の男の子たちが反応してくれましたね。松村が「渋谷のチーマーを更生させたい」と言って、夜の渋谷でロケをしたら、パンツ一丁にされたりしてね。大人からは「目が汚れた」とか「なんだこれ…」って嫌悪感を持たれた。でも、中学生の男の子たちは「面白くてしょうがない」と言ってくれたんです。彼らにしても幼稚園の時くらいからずっとテレビを見ていますから、「テレビとはこういうものだ」と思っている固定観念があって、それがガラーンと壊されるのに反応するわけですよ。

 その熱がどんどん上の年齢に広がっていった感じですね。それでも“一般受け”し始めたのは、猿岩石の「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」(1996年)くらいからです。

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――「アポなし」期から、なすびの「懸賞生活」(1998-1999年)やRマニアの「無人島脱出」(1998-1999年)などの「連続もの」の時代へ、ですね。

 面白いことに、猿岩石のヒッチハイクを始めた時も拒否反応がありました。最初の1ヶ月くらいは、視聴者からハガキで「こんな誰だかわかんない奴が旅しているのなんか見たくないんだよ」「松村の『アポなし』みせろ」って送られて来る。でも、これが面白くなるんだって踏ん張ってやっていると、半年後には「そうだよ、これだよ、松村じゃねえよ」と視聴者は言うようになるんです。

テレビは視聴者に追いつかれないよう、裏切り続けなければいけない

――今の世の中はPDCAを重要視するし、世間の反応を気にしてすぐに方針を変えてしまいます。当時の土屋さんには、そういった外野の声を無視して続ける胆力があったんですか?

 と言うか、視聴者に追いつかれないようにする。視聴者を裏切り続ける。テレビ番組は本来、それをやらないといけないんです。

 

 猿岩石でいえば、イギリスのトラファルガー広場でゴールする時がそうです。視聴者はみんなが「感動したくてしょうがない」っていう状態で、ハンカチ握りしめてゴール特番を見守っているわけですよね。ところが猿岩石が到着すると、「はい、終わりです」「はい、次は南北アメリカ縦断やってください」とやった。そしたら1000本くらい抗議の電話が来ましたね。「人が感動しようとしている時に、何しやがんだ」って(笑)。