欧米の「リアリティショー」と土屋氏の「ドキュメントバラエティ」
――欧米で人気の「リアリティショー」と土屋さんのいう「ドキュメントバラエティ」は違うものなのでしょうか?
欧米のリアリティショーは、実はそこを撮らないんです。一番面白いところなのに、「もったいない」って思うんですけど。そもそも彼らは、リアリティ「ショー」というくらいですから、台本があって演出もしている。そのことを視聴者も言うまでもないこととして、わかっている。そういう文化があるんです。
だから欧米の人たちが『電波少年』の、なすびの「懸賞生活」を見たら「このリアリティはなんだ?」って驚くんですよ。リアリティもなにも、ほんとうに部屋に閉じ込めて懸賞の景品だけで生活しているわけだから、米が送られて来た時、本当にリアルに喜ぶ人間の姿が撮れるんです。それで「あれは本当にやってんだよ」と教えたら「あんた何考えてんの? おかしいんじゃないの?」って怒られましたよ(笑)。
「こんなものはテレビじゃない」から次のテレビが出てくる
――『電波少年』の最初の頃、業務カメラでなくご家庭用のハンディカメラで撮影したら、会社の人に「こんなのテレビで流せる画じゃない」と怒られたという逸話を読んだことがあります。こうした「こんなものは○○じゃない」が新しい熱狂を生み、次の時代をつくりますね。映画だとゴダール、AVだと高橋がなり、文学だと石原慎太郎の『太陽の季節』が出てきた時がそうですよね。
萩本欽一さんにしても、テレビなのに投稿のハガキをスタジオで読むんです。その時、「こんなものはラジオであってテレビじゃない」って言われたわけです。それが『欽ドン!』で、視聴率30%を超すような大人気番組になる。
業界の中にいると、「こんなものはテレビじゃない、こんなものは映画じゃない」っていうことなんだろうけど、既存の価値や基準を捨てないと次のものは生まれてこないですよ。逆に言うと新しいものを生み出すためには、すべてを捨てたり、壊したりする覚悟のある人間というか、捨て鉢な人間がいないとできない。そういう人の直感みたいなものから、次のテレビが出てくるんだと思います。
――そういう人がテレビ局に居づらくなった?
いい加減さのない、組織がしっかりしている会社からは面白いものは出てこないですよ。各局の比較でいうと「組織のTBS」といわれるくらいTBSは組織がしっかりしている。最近TBSが振るわないのはそこが原因じゃないかと睨んでいるんです(笑)。やっぱりなにか壊れた人たちや、はみ出した人たちの先にあるものが面白い。小説家だって何だって同じじゃないですか。人と同じものしか書けない者には価値がないですよね。
コンテンツを作る会社には、そういう組織からはみ出した人たちを「飼っておく」余裕が必要です。別に育てなくていいけど(笑)。「クリエイティブ企業」と「メディア企業」は違うんだということですよ。