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テレビ史での『電波少年』の位置付けは…

――そのあたりについて聞きたいと思います。テレビ番組の歴史としてみた時に『電波少年』はどういう位置づけになるんでしょうか? 

 自分の師匠の萩本欽一は「テレビはドキュメントだ」と言っていました。萩本さんは、素人みたいな人を舞台にあげて、リハーサルでやり込んだことと全然違うことを突然、本番で言う。その時、とまどったり、あせったりして見せる表情や姿が面白いんだということです。だから僕は、萩本欽一とは舞台の上でドキュメントを作った人だと思っています。

 それがテレビの本質で、その延長線に『元気が出るテレビ』がある。『元気が出るテレビ』は街に出ては、なにかをしでかすんです。200歳だというガンジーオセロが現れるとか、半魚人が魚屋でハマチをぶん投げるとか、そういうことを街に出てやっていた。

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 その先に『電波少年』があると思っています。『元気が出るテレビ』はそれまでのテレビと同様に、ちゃんと下見して、「半魚人が魚屋さんのこの魚を投げますよ」「ここで暴れますけど、一応撮影許可は取りますよ」とロケの打ち合わせをした上で撮っています。こうした『元気が出るテレビ』のドキュメント性みたいなものと、ワイドショーで、それこそ騒動の渦中の人のところにアポなしで取材にいくのを自分でやった経験から、本当にリアルな現実のなかにバラエティの手法を持ち込んだのが『電波少年』なんです。

「えっ、それをやるの?」の瞬間が一番面白い

――このインタビュー前半で「人間ってぜんぶ面白い。誰だって面白いんです」と土屋さんは言われました。その人間の面白い瞬間を撮る技法の模索の歴史ですね。

 それでいうと、『電波少年W』に日テレの先輩ディレクターである佐藤孝吉(※「吉」は口の上が土の「𠮷」ですが、機種依存文字のため「吉」で表記)さんに出てもらったですけど、この人は『アメリカ横断ウルトラクイズ』を作っていたテレビマンなんです。

 この番組は、誰が優勝したかは覚えていなくても、アメリカの砂漠のなかでクイズをやって、敗者がスーツケースをごろごろ引きずりながら帰っていくシーンを覚えているじゃないですか。ずるずる帰っていく人間の後ろ姿は、ものすごく多くを語ってきます。面白いですよね。

 

――まさに「ドキュメントバラエティ」ですね。

 うん。打ち合わせで出演者に「今日は○○します」と言って、「えっ、それをやるの? 怖くないですか?」っていう瞬間が実は一番面白い。今、『世界の果てまでイッテQ!』を作っているのは若い頃に『電波少年』を手伝ってくれた人間なんだけれど、この番組も控室にいって「今回はこれをいきます」「えっ?」っていうところから撮っていますよね。

『電波少年』の場合は、何も教えずに目かくしをして無人島なんかに連れて行って、「これをやりま~す」っていうところから始まりますけど(笑)、そういう時に自分で勇気を振り絞って、一歩足を踏み出すところが面白いんです。