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 だが率直に言って、その演技力や素質に見合った評価や知名度を萩原みのりが得てきたかと言えば疑問だ。かつての松岡茉優がそうであったように、萩原みのりも作品への貢献に対して映画賞受賞の経験は少ない。

 ある有名な映画監督が「日本の映画賞は、俳優の演技力ではなく演じた役に賞を与えているにすぎない」と苦言を呈したことがある。その役を俳優がどう演じたかではなく、ストーリーの中で強烈な印象の役かどうかに判断を支配されてしまっているという意味だ。

萩原みのり(中央)と、『転がるビー玉』共演者の元欅坂46の今泉佑唯(左)、吉川愛(右)(Instagramより

演技が上手いほど目立ちにくくなる『カメレオンのジレンマ』

「カメレオン俳優」が演技の幅を賞賛されるのは、その俳優がすでにある程度知名度のあるスターであり、多くの出演作を見比べてもらえる環境にあるからだ。無名の新人俳優が脇役に徹し、カメレオンのように脇役に溶け込んでしまえば、観客は主演に目が奪われ、無名の俳優が存在したことさえ意識の中に残らない。スター俳優に対するあてこすりとして「あんなやつ、何を演じても同じ芝居じゃないか」という決まり文句があるが、スターはそのように自分固有のイメージを持つからこそスターたりえるのである。

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 10代のころから演技力を高く評価され、目元の涼しい端正な容貌を持つ萩原みのりは、本来なら次世代スター女優として同世代のトップに引けを取らない逸材だと思う。だが、不思議なほどに世に知られるのが遅れた理由には、演技が上手ければ上手いほど脇役に溶け込んでしまい、強烈なスターとして目立ちにくくなるという『カメレオンのジレンマ』がそこにあったように思える。

 実際、同じ時期に演じたドラマ『表参道高校合唱部!』のメガネの優等生と映画『正しいバスの見分けかた』の少し不良っぽい美少女を見比べても、下手をすれば同一人物であることにすら気が付かない観客も多いだろう。演技傭兵としての迷彩服は時に、スターとしての輝きと矛盾してしまうのだ。