命じられるまま動いていた緒方
当時、清美さんは小学生である。松永はまだ幼い児童と、その父親に対して、このような苛烈な暴力を強要していたのである。また、当然ながらそうした現場には、小さな我が子を抱えた緒方もいた。
その場での緒方の態度について、前出の判決文には次のようにある。
〈緒方も、かねてから由紀夫に好感を持っておらず、由紀夫と同居する前及び同居後しばらくの期間、しばしば由紀夫を小突いたり叩いたりしたことがあったが、その回数は松永と同程度であった。松永が由紀夫に対し通電等の暴行や虐待を加えるようになった後、松永の指示を受けたときは、唯々諾々とこれに従い、その指示どおりに、何ら手加減をすることなく、仮借のない暴行や虐待を加えた。自らの意思のみでは、由紀夫に対し、積極的に通電等の過酷な暴行を加えることはしなかったが、松永に指示されて由紀夫に通電しているとき、緒方の判断で由紀夫に通電したことはあった。また、緒方は、松永が由紀夫に暴行や虐待を加えるときに、松永を制止したり、由紀夫を庇ったりしたことは全くなく、松永がいないときでも、由紀夫の心身を気遣ったり励ましたりする態度を示したことは全くなかった〉
つまり、この時点での緒方は、命じられるまま動くロボットのように、犯行に加担していたのだ。当時の松永と緒方の関係性について、同判決文には以下のようにある。
松永は明確に「常に他の者に優越」していた
〈松永は、緒方が松永の意にかなわない言動をしたときなどは、緒方に対しても、殴る蹴るの暴力を振るったり通電したりしたが、由紀夫と同居していたころ、通電の回数は平成9年(97年)4月以降のそれと比べ少なかった。他方、松永は、緒方、由紀夫、甲女から、通電等の暴行や虐待を受けたことは全くなく、その地位は常に他の者に優越し、侵し難いものであった〉
ここに出てくる〈97年4月以降〉という時期は、由紀夫さんが死亡した後に次なる“金づる”とされ、監禁致傷、詐欺・強盗の被害に遭った原武裕子さん(仮名)が、監禁されていたアパートから逃げ出した直後にあたる。そのため、新たな“金づる”を求めた松永が、緒方に彼女の家族を“供出”させようと考え、通電による虐待を繰り返していたのだ。
話題を由紀夫さんに戻すと、同判決文では、松永による〈由紀夫に対する暴行や虐待は、平成7年6月ころからひどくなった〉と断定されている。次回は松永らが由紀夫さんや清美さんに対して行った、さらなる虐待について触れる。(第53回に続く)
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この凶悪事件をめぐる連載(一部公開終了した記事を含む)は、発覚の2日後から20年にわたって取材を続けてきたノンフィクションライターの小野一光氏による『完全ドキュメント 北九州監禁連続殺人事件』(文藝春秋)に収められています。