清美さんにも「性的な嫌がらせを受けた」と書かせて
一覧表にある、表題が前出の「おとうさんから――」という書面の内容の概要については、以下のように紹介される。
〈甲女は、「由紀夫から、身体を触られたり舐められたり、衣服を脱がされて裸にされたり、陰部に指を入れられたりしていた。由紀夫はとてもいやらしい人間であり、一緒にいたくない。」などと、由紀夫が甲女に対し頻繁に性的な嫌がらせ等をしていた旨を、400字詰め原稿用紙18枚にわたり事細かに記載している。
末尾に、作成日付(平成7年3月20日)の記載、甲女の署名がある。
さらに、由紀夫が、「私はこの書を正に読みました。事実に相異ありません。 平成7年3月22日 父、広田由紀夫」と記載して押印している〉
娘を“人質”に取られたうえ、こうした書面を作成させられたことにより、由紀夫さんの抵抗する気力はさらに奪われていった。
小学生だった清美さんにも繰り返された苛烈な暴力
ここで松永による由紀夫さんへの虐待行為について触れておくと、松永は由紀夫さんが「片野マンション」で同居する前から、先に彼らと同居していた清美さんと、連日呼び出していた由紀夫さんに対して、日常的に通電による暴行を加えていた。そうした流れでの同居後の状況について、論告書は詳述している。少々長いが全文を紹介する。
〈松永は、些細なことを口実に由紀夫に通電を加えており、例えば、由紀夫が返事をしないとか、決められた場所から足がはみ出したとか、後述するように、制限時間内に食事を食べ終えなかったとか、制限された回数以上にトイレに行きたがったとか、いびきがうるさいなどと指摘しては由紀夫の体に電気を通した。
由紀夫は、同居開始後しばらくして(勤務先の不動産会社を)退職し、一日中「片野マンション」で過ごすことが多くなった。そして、松永は、由紀夫に対し、日中は、ずっと立たせておくか、さもなければ執拗に通電を加えて虐待していた。由紀夫は毎日のように通電を繰り返され、その通電も、ひどいときには半日以上も続くことがあった。通電部位も危険な場所が増え、由紀夫は、顔面に通電されて気絶したことも数回あった。
また、松永は、甲女と由紀夫に、「電気のボクシング」をするよう命じたこともあった。「電気のボクシング」とは、甲女と由紀夫が、2つに割いた通電用の電気コードをそれぞれ片手に握り、その手で互いの体を叩くことだった。その結果、互いの手の触れた部位を介して感電するので、非常な恐怖があった。松永は、由紀夫と甲女が、感電の恐怖から、恐る恐る互いの体に触れている様子を見て一層喜び、楽しそうな様子で、あれこれと殴る場所を指示した。甲女が、感電の恐怖から言われたとおりにできずにいると、松永は、従わないなら甲女だけに通電してやるなどと言って甲女を脅した。由紀夫は、甲女が殴るよう指示された部位を自分から甲女の拳に当て、甲女をかばってくれていた〉