10メートルの距離まで近づいて…
僕たちと飯島さんを乗せた2頭のゾウは、午前中に越えられなかった斜面を回り込み、その先にある谷に向けて、藪をかき分け進んで行った。探し始めて1時間後、100メートルほど先の岩棚の上に寝そべるシータを見つけた。
子連れのトラは特に警戒心が強い。ゾウが近づいているのだから当然、シータは気がついているはずだ。しかし、他に選択肢はない。どうか逃げないでくれと祈りながら、慎重に近づいていく。
半分ほど距離を詰めたところで、シータの周りで動く影が見えた。4匹の子どもが、シータにじゃれついて遊びはじめていた。揺れるゾウの上から撮影するためには、もう少し近づきたい。ジリジリと、ゆっくりゆっくり、10メートルの距離まで近づいた。
優しげなシータの顔。子どもたちは、小型カメラに映っていたときよりも、ひとまわり大きくなっているように思えた。
しばらくするとシータは、大きく欠伸をしてからゆっくりと立ち上がり、子どもたちを従えて森の奥へと去っていった。傾いた太陽の光が森の奥まで差し込み、トラの体を黄金色に染め上げていた。
もう一度見てみたいという魔力
シータの4匹の子どもたちは、その後どんな運命をたどったのだろうか。人間と衝突せず、無事、大人になり、生涯を全うできただろうか。
僕の中でトラが、最も恐ろしい生きものであることは、今も変わらない。しかし、この上ない恐怖の経験とともに、野生のトラの炎のような美しさが、今も目に焼きついて離れない。二度と会いたくないと思う一方で、どうしようもなく、もう一度野生のトラを見てみたいと思わせる魔力がある。
それは、安全な檻越しに見る、人間に餌をもらっているものではなく、同じ空間の中に立つ、野生に鍛え上げられた個体でなければならない。トラを本当の意味でトラと感じるためには、あのヒリヒリする緊張感が必要なのだ。だからこそ、人間とトラが地球上でともに生きていけるよう、祈らずにはいられないのだ。
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