インドネシアのフローレス島で見つけられた、身長1メートルほどの謎に包まれた人類「フローレス原人」。その存在は人類学者たちを中心に、多くの人々の間で話題を呼んだ。なんとフローレス原人は、原生人類ホモ・サピエンスが初めて到達したと考えられていたフローレス島に、はるか昔にたどり着いていたのである。それでは、なぜ彼らは絶滅し、ホモ・サピエンスが現在に至るまで進化を続けてこれたのだろうか。

 ここでは、世界中でさまざまな生物を追い、人気番組「ダーウィンが来た!」「NHKスペシャル」などを手がけてきた名物ディレクターの岡部聡氏の著書『誰かに話したくなる摩訶不思議な生きものたち』(文藝春秋)を引用。フローレス原人が見つかったフローレス島を取材したエピソードをもとに、人類進化の謎について考察する。(全2回の2回目/前編を読む)

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生物学者、ウォレスが気づいた「線」

 彼らの祖先はどのようにして、フローレス島に渡ったのだろうか。インドネシアの大きな島の並び方を地図で見ると、西側からマレー半島の横にあるスマトラ島、ジャワ島、バリ島、ロンボク島、スンバ島、フローレス島が一列に並んでいる。それぞれの島の間隔もそんなに離れていないので、島伝いにフローレス島まで来るのはそう難しくないように見える。しかし、バリ島とロンボク島の間には、生きものが容易に越えられない見えない「線」があるのだ。

 数万年前の氷河期には海水面が120メートルほど下がったため、スマトラ島、ジャワ島、バリ島、ボルネオ島などのインドネシアの島々は大陸と陸続きになり、「スンダランド」と呼ばれる一つの陸塊となったものの、ロンボク島よりも東側は、繫がらなかった。それは、バリ島とロンボク島の間にある海峡が、深さ250メートルもあるからだ。近そうに見えるが距離は20キロ以上あり、泳いで渡ることも難しい。

フローレス原人の頭蓋骨標本 ©岡部聡氏

 19世紀、ダーウィンとほぼ同時期に、生きものが進化することに気がついていた生物学者、アルフレッド・ウォレスがインドネシアを訪れ、島々を巡って棲んでいる生きものを入念に調査した。その結果、この海峡を境に生物相が大きく変わることに気がついた。バリ島まではアジアの生きものがいるのに、ロンボク島よりも東にはほとんど見られなかったのだ。

 彼がこの現象に気がついたのにちなんで、この見えない線は「ウォレス線」と呼ばれている。ウォレス線を越えることができた哺乳類は、コウモリを除くと泳ぎが得意なゾウやネズミなどごくわずか。ほとんどは海峡を越えることができず、スンダランドに留まった。アジア最強の捕食者であるトラが、バリ島まではやってきたが、それより東には進出できなかったことからも、この線を越える難しさがわかる。

どうやってウォレス線を越えたのか?

 フローレス原人が発見されるまでは、ウォレス線を初めて越えた人類はホモ・サピエンスだと考えられていた。5万年前に島伝いにオーストラリアにたどり着いていたことが、発掘などの調査からわかっているのだ。ホモ・サピエンスは船を作り、島から島へと渡る航海術を発達させることにより、地理的隔離を乗り越える能力を初めて備えた人類だった。