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 フローレス原人が80万年前から5万年前まで75万年もの間生きていたということは、近親交配を繰り返したわけではないだろう。ある程度の遺伝的な多様性がある集団だったと考えるのが普通で、まとまった数が一緒に渡ったことになる。筏や舟を作る技術を持たなかったフローレス原人の祖先が、ウォレス線をどうやって集団で越えたのかは今も謎のままだ。

自然現象で偶然辿り着いた可能性

 もっとも、フローレス原人が自分たちの意思で渡ったと考えるから謎になるのであって、自然現象によって偶然たどり着いたのなら、大いに可能性はある。世界には、自然現象で海を越えたと考えられているサルの集団があるからだ。アフリカからマダガスカルに渡ったキツネザルと南米に渡った新世界ザルだ。

 アフリカからマダガスカルの距離は400キロ、南米までは1000キロ以上と桁外れに遠い。これは数千万年前のことで、当時は体の大きさがネズミ程度しかない、サルの原始的な祖先だった。住処としていた大きな木などと共に流し出され、数ヶ月の漂流生活に耐えてたどり着いたと考えられている。

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 それに比べてバリ島から隣のロンボク島は、20キロとずいぶん近い。しかし、原人は原始的なサルほど小さくはないので、住処ごと流し出されることはなかっただろう。

 では、どうやって海に流されたのか? 僕は、津波だったのではないかと想像するのだ。

 インドネシアは、ユーラシアプレートの下にオーストラリアプレートが沈み込む境界線上にあり、スマトラ島からフローレス島は、ユーラシアプレートの縁に乗っている。そのため巨大地震や津波が多く、21世紀に入ってからだけでも、2004年のスマトラ島沖地震、2006年のジャワ島南西沖地震、2019年のスラウェシ沖地震などが起きている。

 中でも、2004年のスマトラ島沖地震は、マグニチュード9・1~9・3の超巨大地震で、発生した津波などにより20万人以上が犠牲になる、甚大な被害をもたらしたことは記憶に新しい。

 80万年前にも、ジャワ島で大規模な津波が起き、ジャワ原人の集団が偶然、大木などにつかまって生き残り、海を漂流してウォレス線を越えたのではないだろうか。これは、何の根拠もない僕の個人的な想像だが、これ以外に、ジャワ原人がフローレス島にたどり着くストーリーは思い浮かばない。