それは、やはりトラの習性を利用するほかない。トラの狩りは相手の不意をつく待ち伏せ型で、自分を見ている獲物を襲うことはないという。いつも獲物にしているシカでも、力強い脚で蹴飛ばされたらトラの方が怪我をすることがある。トラは、非常に慎重な生きものなのだ。
インドとバングラデシュの国境付近にある、スンダルバンス国立公園では、トラの生息している場所で釣りをしていた漁師が、後ろから襲われる例が多発した。そこで、トラの習性を利用して、後頭部に人間の顔のお面を着けたところ、被害が激減したという。
絶対に目をそらしてはいけない
僕もバンダウガル国立公園で、そんなトラの習性を身をもって感じたことがある。
一度目は、洞窟から出てきたトラと対峙したときだ。国立公園の中には大きな岩山がある。そこには、3畳ほどの広さの穴が掘られていて、先史時代に人が住んでいたそうだ。
穴の壁には、シカを襲うトラが彫られている。トラは昔から、人間が恐怖と畏敬の念をもつ、特別な存在であったことがうかがえるという。
洞窟は、車で行ける道の近くにある岩山を、10メートルほど登った場所にある。ガイドが周囲の安全を確認した後、車から降りて岩山に登ろうと見上げたとき、目的の洞窟からトラが出てきた。
僕は「トラだ!」と叫んで、トラから目を離さなかった。ガイドから、万が一トラと出会ったら絶対に目をそらしてはいけない、目をそらして逃げると追いかけてきて襲われる、といつも言われていたからだ。
全身の力が抜けるほどの恐怖
身を守る唯一の武器は、ベルトに付けていたクマ撃退用の、唐辛子成分が入ったスプレー。目をそらさずに、震える手でベルトからそれを外そうと探っていたら、トラは僕を一瞥したのち、岩山を駆け上がり山の向こうに消えていった。全身の力が抜けてへたり込みそうになった。
周りを見ると、一緒にいるはずのガイドとカメラマンの姿が見当たらない。トラを見たのは僕だけで、叫び声を聞いた瞬間、彼らは一目散に車まで逃げ帰っていたのだ。まったくひどい話だ。
二度目は、車で公園内を探していて、谷を隔てた道に、トラが座り込んでいるのを見つけたときだ。その道はT字路になっていて、車からT字の交差点までは10メートルほど。トラは、その交差点から右に50メートルほどの場所に座っていた。
トラまでの距離が離れていたので、体の大きさがよくわからなかったが、そこではシータをよく見かけていたので、そう判断して撮影を開始した。