辻村 原稿を旦那さんに読んでもらっていたことも、すごく驚きました。
村山 デビュー前に書いた童話の頃からそうしてきたので、習慣になってしまってたんですよ。ある時期までは彼に見てもらって「面白い、もっと書きなよ」と言ってもらえるのが励みにもなっていたんです。でも、初めがそうだったとしても、作家はどんどん殻を脱ぎ捨てて変わっていかなくちゃいけないということを、彼はわかってくれなかった。私も、もっと断固とした態度で訴え続ければよかったのかもしれないけれど……。
辻村 その、旦那さんとのことを小説に書こうと思われたのには、何かきっかけがあったんですか。
村山 タイミング的に本当に幸運だったと思うんだけれども、ちょうど週刊文春に初めての連載をというお話をいただいていて。その頃の私は、1回、家を飛び出して、東京で暮らしながら、鴨川の家にも時々帰るという生活だったんです。何を書こうかと、担当の女性編集者と話をする中で、夫がいない時に2人して鴨川の家でしばらく寝起きしてミーティングして、ここまでの経緯や恋愛の話などもしているうちに、ふっと――ほんとあれ、どうしてでしょうね。2人同時に「これを書こうか」って。
辻村 ああ……すごい!
村山 鴨川の家の庭にあったプールに入って、担当と2人、泳いでいる時でした。水が冷たくて、唇を紫色にしながら「書いちゃおうか」「書いちゃいましょうよ」と。そこからはもう一気に『ダブル・ファンタジー』の世界にのめり込んだ感じです。いまでもあの啓示めいた瞬間のことは覚えていますね。
自分を「発見」した瞬間
村山 辻村さんは自分の書くものの世界が変わったと感じた瞬間はあります?
辻村 「母娘の確執」というテーマをはっきり自覚して描けたかなと感じたのは、最初に直木賞の候補になった『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』(2009年)ですね。デビューしてしばらく地元の山梨でOLをしながら小説を書いていたんですけど、専業になって東京に出てきて、初めて山梨と距離ができたら、地方都市の女子が抱える母娘問題とか、女子コミュニティで居場所がなくなる苦しさとか、女子のモテ格差などを客観視することができた気がして。
それまで私は、講談社ノベルスのメフィスト賞でデビューしたこともあって、「ミステリーを書く」という強烈な自負がありました。プロット重視、驚き重視で、自分は、社会的なテーマとか人の感情を描くタイプの作家ではないと思っていたんですよ。
村山 へえ~、意外!
辻村 でも、『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』を書いて、自分の新しい引き出しを初めて発見できたような……。
村山 なるほど、自分にはこんなものも書けるのかと。
辻村 そうなんです。書いてみるまでは、自分でも「辻村深月らしさ」って何なのか、よくわかってなかったんだなと思いました。そのあたりから、ジャンルを超えていろんな読者に読んでもらえるようになったりもして。