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日朝交渉の狭間で怪しげな動き

 北朝鮮船の座礁事件は、小泉が訪朝した3カ月後のことだ。いきおい、ときの首相と産廃業者との不可解な関係が取り沙汰され、それを仕組んだレインボーブリッヂ・小坂浩彰の存在が、ますますクローズアップされたのである。

 小坂は、日朝交渉の狭間で怪しげな動きを見せる。拉致問題のシンボリックな存在である横田めぐみの娘、キム・ヘギョンに近づき、03年7月、拉致被害者の子供たちの手紙を日本に持ち帰った。そこから民放テレビをはじめ日本のマスメディアは、北朝鮮政府に話ができる人物だ、と小坂をしきりと持ちあげる。横田めぐみの父親である滋も、「家族会」の代表として小坂と会っている。だが当時、インタビューした横田滋は、小坂にあまりいい印象を抱いていなかった。

横田滋夫妻 ©文藝春秋

「小坂さんと最初に会ったのは、2000年7月31日でした。ある政治家から、『北朝鮮をしょっちゅう訪問していて、向こうに情報源のある人がいるので、会っておいたほうがいい』と紹介され、都内のホテルで会いました」

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 とこう話した。

「それから3、4回ほど会ったでしょうか。いつも小坂さんから自宅へ連絡が入るんです。最近の北朝鮮情勢を話したうえで、『拉致問題は早く決着したほうがいい』とか、『騙されたつもりでキム・へギョンさんと会ったほうがいい』とか、しきりに勧めてきました。そんなあるとき北京にいる彼から、『子供たちの写真を持って帰ります。蓮池さん、地村さん、曽我さんに個別に直接渡したいから、日程を調整してくれませんか』と電話があったのです。唐突な話なので驚きましたけど、一応、それぞれのご家族に連絡をしました。だが、妙な動きに利用されては困る。それで家族会で相談し、写真の受け渡しについては、政府を通すことにしたのです」

拉致家族の写真で会見

 拉致被害者家族たちは、当時、内閣官房参与だった中山恭子や外務省審議官の斎木昭隆とともに銀座のバーで小坂と落ち合い、そこで写真を受けとった。むろん、拉致家族の写真となれば、対北朝鮮外交上の重要事項でもある。横田たちは小坂にこの件を口外しないようクギを刺した。

「ところが、わずかにその2、3日後のことです。彼が記者会見を開いた。これには驚きました。やはり、この人は信用できない、と改めて思ったものです」(横田滋)