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日本鋼管による風力発電寄付計画

 むろん純粋な人道支援ではないだろう。レインボーブリッヂの事務局長や代表代行という肩書きを持っていた小坂は、同時に非営利法人(NPO)「資源再利用並びに不法投棄監視センター」を運営してきた。廃タイヤチップのプレゼントは、こちらの活動の一環だ。燃料不足に喘ぐ北朝鮮では、廃タイヤチップは石炭と並ぶ火力発電所の重要燃料になってきた。その恩を売るかたわら、別の狙いがあった。小坂の動きについて、日本の公安当局者が解説してくれた。

「当時の彼は平壌に事務所を構え、そこで経済活動をしていました。最初に彼が熱を入れたのが、北朝鮮政府への風力発電施設の売り込みでしょう。日本鋼管製の発電機を南浦に設置する計画を立てていた。日本鋼管が1基あたり1億円相当の施設を寄贈する計画で、現地調査も済ませていたと聞いています。そうして日本から寄付を募るのが彼のやり方だった」

 小泉純一郎政権下、日朝関係が熱くなるのに合わせ、小坂は次々と独自のプロジェクトを立案していく。その後、開発計画を日本企業に働きかけ、寄付を募るという手法だった。

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仲人の元厚労大臣発言で平壌の病院建設計画

 小坂は小泉内閣の厚生労働大臣とも懇意だった。三重県出身の坂口力は、小坂と同郷だ。が、それだけの仲ではない。坂口は小坂の結婚の仲人まで務めている。二人は切っても切れない間柄だといえた。坂口が顧問だった三重県内の医療法人で、小坂が事務局長を務めていた時期もある。小坂はそんな坂口との関係をうまく利用した。

坂口力氏 ©文藝春秋

「被爆者は、その住む国や地域によって格差をつくらない」

 二度目の小泉訪朝から2カ月後の04年7月27日、厚労大臣だった公明党の坂口力が、閣議後の記者会見でこう話した。発言の趣旨は、戦時中に原爆被害に遭い、戦後北朝鮮に帰国した原爆被害者の救済である。北朝鮮に対する補償問題に関し、韓国内にいる原爆被害者と分け隔てなく救済する、というものだ。

 小坂は、この坂口発言に歩調を合わせ、文字どおり水を得た魚のように、日朝のあいだを勢いよく泳ぐ。まずは平壌の病院建設計画だ。北朝鮮の親睦団体として活動を続けてきた「在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)」の関係者が明かす。

「小坂さんは総合商社の内田洋行を事業パートナーに選んでいました。04年夏ごろから、その内田洋行とともに、日本のゼネコンへ北朝鮮国内に病院を建設する計画を持ち歩いていた。まるで、自分自身が北朝鮮の唯一の窓口であるかのように、日本企業に売り込んでいましたね」