一般には知られていない中堅ゼネコンの社長にもかかわらず、永田町では知らぬ者のいない有名人だった男が、2020年12月17日に帰らぬ人となった。その男の名前は水谷功。小沢一郎事務所の腹心に次々と有罪判決が下された「陸山会事件」をはじめ、数々の“政治とカネ”問題の中心にいた平成の政商だ。

 彼はいったいどのようにして、それほどまでの地位を築き上げたのか。ノンフィクション作家、森功氏の著書『泥のカネ 裏金王・水谷功と権力者の饗宴』(文春文庫)より、芸能界でも幅を利かせていた男の知られざる正体に迫る。(全2回の1回目/後編を読む)

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特捜部の異質な北朝鮮捜査

「カジノは、平壌ホテルから車で10分くらい走ったところにありました。夜やから、暗うてね。まわりがどうなっとるんか、ようわからへんかった。車で連れていかれたのやけど、なんや寂しい感じのところに、大きな建物がポツンと建っている。外から見たら、何の変哲もないオフィスビルみたいでした」

 そう記憶をたどったのは、水谷建設と取引のある北陸の下請け業者だ。水谷功とともに北朝鮮を訪問したことがあるという。

「そうして、ビルのなかに入ると、1階はがらんどうになっとる。カジノは、ビルの地下1階にありました。案内されると、そこにはバカラやルーレット、ブラックジャックの台があった。部屋は大して広くはない。けど、まぶしいほどきれいな別世界でした。帰国してその話をすると、北朝鮮にカジノなんかあるかいな、と笑われたけど、決して夢なんかやありません」

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 2006年の脱税事件捜査の渦中、水谷建設と北朝鮮とのかかわりが話題になった時期がある。

 水谷建設の政界工作解明に乗り出した東京地検特捜部は、このとき広範囲な家宅捜索を展開した。そのなかに異質な捜索対象があった。それがレインボーブリッヂだ。00年4月、世界宗教者平和会議日本委員会評議員だった飯坂良明が代表となり、北朝鮮に対する人道支援を目的として設立されたNGO(非政府活動組織)団体である。政官界への裏金流用を調べているはずの特捜部が、なぜそんな団体を捜索したのか。建設業界が最も驚いた捜索先だった。

 NGOレインボーブリッヂといえば、代表の飯坂より、事務局長や代表代行を務めてきた小坂浩彰のほうが知られている。02年12月、茨城県日立港で座礁した北朝鮮船籍の貨物船チルソン号との関係が注目され、一挙に有名になった人物だ。小坂は工業燃料不足に苦しむ北朝鮮に対し、石油や石炭代わりの廃タイヤチップを寄付してきた。それを積み込んだまま、北朝鮮船が座礁事故を引き起こしてしまった。船から燃料の重油が流れ出し、海を汚染したものだから、小坂たちの活動が世間に知れ渡ったのである。

 チルソン号が船主責任保険に加入していなかったせいで、茨城県が流出した重油の回収作業を担い、数億円の損害を被った。もとより北朝鮮側がその分の損害賠償するはずもない。それより廃タイヤチップの輸出そのものが顰蹙を買ってしまった。水谷功はその小坂とも親しかった。

日朝国交回復を睨んだパイプづくり

 小坂浩彰は水谷功と同じ三重県出身だった。二人はローカルな地縁もあって知り合い、水谷が小坂に急接近した。そこから水谷も北朝鮮とのかかわりを深めていく。

 脱税事件の捜査が佳境を迎えるさなかのことである。水谷功がいっときアルジェリアに身をかわしたことは前に触れた。一方で、

「ひょっとすると北朝鮮に亡命するのではないか」

 と囁かれたほど、水谷は北朝鮮に肩入れしていた。足しげく北朝鮮に通い、かの地の政府高官とビジネスを始めた。おかげで、北朝鮮高官の間で、最も信頼できる日本の実業家の一人といわれた。水谷が北朝鮮とのパイプを築こうとした狙いは、まさに日朝の国交回復後を睨んだゼネコン利権である。水谷が北朝鮮と接点を持った時期は、もっぱら小泉純一郎政権時代のことだ。