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風景画はジャンルの底辺だった時代

 コンスタブルは生計を立てるために肖像画も手がけたが、放っておけば風景画ばかり描いて過ごした。これがもうすでに、画家としてハミ出している。

 当時の英国美術界は、ロイヤルアカデミーという確固とした組織が価値を定める状況にあった。上等な絵といえば歴史画に決まっており、しかるべき人物をモデルとした肖像画がそれに準じた。風景画なんて、そもそもジャンルとして底辺だったのである。

ジョン・コンスタブル《マライア・ビックネル、ジョン・コンスタブル夫人》1816年、油彩/カンヴァス、30.5×25.1cm、テート美術館蔵 ©Tate

 コンスタブルはもちろん、それを承知で風景画を描き続けた。しかも、風景画を描くにあたって彼は、自分の目に映るがままを素直に絵に落とし込もうと努めた。今なら当然のことと思える写実的な手法。これがまた流儀に反していたのだった。

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ジョン・コンスタブル《虹が立つハムステッド・ヒース》 1836年、油彩/カンヴァス、50.8×76.2cm、テート美術館蔵 ©Tate

 自然を描くのならば、あるべき自然の姿を求めてしっかり「理想化」を施すべし。そうすれば歴史画の背景くらいにはなり得るだろう。それがアカデミーの採用する正しき指針だったのである。

 極端に天邪鬼なのか、ただマイペースな性質だったのか、それとも思想的確信犯か。ともあれコンスタブルは、画家としてとことん時代とズレた存在だった。