プレゼント攻勢
「レインボーブリッヂの小坂は、大手、準大手のゼネコン各社へ軒並み声をかけ、計画をもちかけていましたが、不評を買ってあまりうまくいきませんでした。なかで唯一、小坂と行動をともにしていたのが、前田建設(工業)でした。前田の専務が小坂に肩入れしていました。ただしよくよく調べてみると、その裏で動いていたのが、水谷建設だったのです。世間からは、まるでわれわれゼネコン視察団が、北朝鮮で利権漁りをしているかのように非難されました。しかし、そうではない。むしろODA絡みの話だから抜け駆けしないよう、まとまって視察しようとしたのです。そんなわれわれの動きの裏で小坂とともに着々と事業を進めていたのが、水谷建設と前田建設だったのです」
訪朝後、槍玉に挙げられた大手ゼネコン元幹部は、今もなお唇を噛む。前田建設は、小沢一郎の地元、岩手県の胆沢ダム工事をはじめ、過去、水谷建設とともに数多くの公共工事を受注してきた。下請けの水谷建設が裏にまわり、受注工作を担う。水谷建設と前田建設はそんな関係である。水谷にとって、北朝鮮ルートの窓口として最初に小坂を使ったのは、そうした関係性があったせいもある。
水谷功にとって、小坂は要注意人物に違いなかった。だが、当の水谷本人も政商と呼ばれるだけあって、危ない橋を渡る術にかけては、人後に落ちない。多少の火傷覚悟で、小坂の話に乗ったのだろう。
「水谷会長は、小坂があらゆる場面で金銭トラブルを抱えていたことも知っていました。それより何より、北朝鮮ルートはまず手をつけたほうが勝ちだと考えたのではないでしょうか」
水谷功の北朝鮮におけるブレーンの見方はこうだ。そうして水谷は、小坂を窓口にし、北朝鮮とのパイプづくりを始める。05年が明け、活動資金のつもりで、まず小坂に2億円の資金を提供した。本人もここから足しげく北朝鮮に通うようになるが、案の定、小坂との金銭トラブルが発生する。
〈小坂浩彰が借用した金額2億円の返済期日が本日でありますが、協議の結果6月27日9時に再度集まって協議し、結論を出すことを各自が同意した〉
そう書かれた05年6月20日付の「合意文書」が手元にある。小坂が北朝鮮とのパイプづくりをエサに、水谷から2億円の借金をしたが、その返済が滞った。そこで、双方が協議したときの念書だ。ちなみにくだんの念書には、立会人として準大手ゼネコン前田建設工業幹部の署名もある。
もっとも、水谷は次第に小坂では頼りなく思えてきたに違いない。間もなく小坂とたもとを分かち、独自の動き方をしていく。先の水谷の北朝鮮ブレーンが話す。
北朝鮮の逆鱗に触れた小坂
「北朝鮮での事業は、小坂、水谷、前田ラインで事業を進めていこうとスタートしました。ところが、やがて小坂が馬脚をあらわした。もともとあまり信用できなかったのですが、決定的だったのが、拉致被害者家族の一件でした。小坂は北朝鮮で日本の民放テレビクルーをキム・ヘギョンちゃんに会わせて撮影させたり、みずから政府高官といっしょに撮った写真を公開したりした。自分の存在を大きく見せようとしたのでしょうけど、北の政府にとっては迷惑な話でした。とくに北の政府の要人はその名前すら極秘扱いで、まして写真を海外メディアに流すようなことは言語道断です。それで小坂は北の逆鱗に触れた。北朝鮮政府の信用をなくし、相手にされなくなったのです」
そして、次のように続ける。