一般には知られていない中堅ゼネコンの社長にもかかわらず、永田町では知らぬ者のいない有名人だった男が、2020年12月17日に帰らぬ人となった。その男の名前は水谷功。小沢一郎事務所の腹心に次々と有罪判決が下された「陸山会事件」をはじめ、数々の“政治とカネ”問題の中心にいた平成の政商だ。
彼はいったいどのようにして、それほどまでの地位を築き上げたのか。ノンフィクション作家、森功氏の著書『泥のカネ 裏金王・水谷功と権力者の饗宴』(文春文庫)より、芸能界でも幅を利かせていた男の知られざる正体に迫る。(全2回の1回目/後編を読む)
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朝鮮民主主義人民共和国出張報告書
錦織(編集部注:北朝鮮政府と深い関係を築き、北朝鮮でのゼネコン利権を狙っていた電力使節団長)を先頭にした電力使節団一行は04年6月28日、北京にある北朝鮮大使館で訪朝のための入国ビザを取得する。その翌日、空路で北朝鮮の首都を目指した。使節団のメンバーが記した「朝鮮民主主義人民共和国出張報告書」には、こうある。
〈6月29日(火) 北京発 11:30(JS512) ピョンヤン着 14:20
ピョンヤン行きの飛行機は、ロシア製イリューシンIL62で160人乗り、満席であった。朝鮮の人は、北京で電気製品をしこたま買ってチェックインしている。中国人の観光客。東欧の白人も数人いた。エコノミーは通路も日本と比べたら半分ぐらいで狭く、3名座席の2列だった。(中略)荷物を受け取り、税関検査、その荷物について、再び、X線の安全審査を受け、やっと外に出られたのは(空港に)到着して2時間後。携帯電話は国内には持ち込めず、空港預かりとなった。
空港には、金守一氏、ハム対外経済協力委員会副委員長、サイ海外迎接委員会副委員長らが出迎えに来てくれていた〉
北朝鮮の電力開発を一手に引き受ける巨大事業
もとより、のんびりとした観光旅行ではない。目的は政府の産業部門責任者との話し合いだ。翌日のレポートには、具体的な事業内容にまで踏み込んで次のように書かれている。
〈6月30日(水)
平壌高麗ホテル内の会議室にて共和国側からは国家経済協力委員会副委員長及び電力石炭工業省の副大臣以下11名の出席を仰ぎ第1回目の技術交流を行った。副大臣よりの訪朝団に対する謝意の表明に続き、錦織団長が基調講演を行った。その後直ちに討論に入り山口主任研究員よりマスタープラン及び関西電力会社の概要と題しての説明が行われた。日本の第二次世界大戦後の荒廃からの復興にあたっての最大のネックが電力供給であったことの説明に加えて、関西電力の発展のペースを共和国の電力事情の向上に役立てることが出来ると思うとの説明がなされた〉
訪朝使節団との打ち合わせには、北朝鮮政府の幹部が出席し、かなり突っ込んだ内容が話し合われている。レポートには、その打ち合わせ後の現地の視察状況まで詳細に記されている。たとえば以下のような記載もある。
〈7月1日(木) 南江発電所視察
平壌から70キロ東に位置しており、平壌市を洪水から守る為の流量調整機能が第一の目的の水力発電である。(中略)この水力発電所までの道路は幹線道路から外れたあとはかなりひどい状況にあるので、発電所の工事に入る前に道路の改修が必要となろう〉
このときすでに数千億円規模のプロジェクトが、日朝間で秘密裏に進められていたといっていい。計画には現実の発電所名まで記されている。「平壌火力発電所」と「東平壌火力発電所」へ、それぞれ10万キロワットの発電施設を2基新設するとある。また、「順川火力発電所」に20万キロワット級を2基、「南江水力発電所」に4万5000キロワット施設を増設することになっている。その他、送電施設や鉄塔、地下鉄への電力供給など、プロジェクトは多岐にわたっている。文字どおり、北朝鮮の電力開発を一手に引き受ける巨大事業となっていた。