最後に再び110号室の前に連れ戻された。職員は両手の親指をまとめて結束バンドで縛られ、その間に通したもう1本のバンドで廊下の手すりにくくりつけられた。エプロンのポケットに入れていた職員用の鍵も奪われた。
「俺は昔、ここで働いていたんだよ。監視カメラがあっても、役に立ってないな」。職員を拘束する手は休めずに、植松はそう話した。面識はなかったが、職員の間でうわさになっていた男だと悟った。職員の口をガムテープでふさいだ植松は「つばを飲み込めば苦しくない」と言い残し、奥の支援員室へと姿を消した。
「宇宙から来た植松だ」
隣接する女性専用「にじホーム」の夜勤担当の女性職員は、わずかな異変を肌で感じ取っていた。
午前1時50分ごろ、支援員室でパソコン作業をしていたところ、「はなホーム」の部屋に設置されている集音マイクのスピーカーが人の叫び声や物音を拾った。入所者が騒いでいるのだろう。そう想像してみたが、なだめる職員の声が聞こえてこないのが気になった。
午前2時を回った。見回りに行くために書類や荷物の整理をしていた時だった。人の気配を感じ、ふと顔を上げると見知らぬ男が立っていた。キャップをかぶり、メガネをかけ、大きなバッグを肩にかけていた。
一体誰なのか。職員か、入所者か。全く見当が付かず、混乱する頭のまま椅子から立ち上がった。「親指を出せ」。突然、男は言った。手に血の付いた包丁と結束バンドを持っていた。
その瞬間、「はなホーム」の入所者が刺されたのかもしれないと怖くなった。その後の記憶はあいまいだ。男に抵抗してもみ合いになり、顔面を床に打ち付けた。メガネのフレームは折れ、下の前歯が欠けた。「早くしないと、手を切り落とす」と脅され、結束バンドで手首を縛られた。
植松は「はなホーム」の時と同じように職員を連れ回す手口で話せるかどうかを確認しながら、寝ている入所者を包丁で刺していった。植松の意図に気づいた職員は機転を利かせ、会話ができない人でも「しゃべれます」とうそをついた。何人かが難を逃れた。
不審に思ったのか、しばらくすると植松は職員に確認しなくなった。寝ている入所者に「おはようございます」などと自ら声をかけ、相手の反応をうかがうようになった。
「こいつ、しゃべれないじゃん」。植松はそう言って腕を振り下ろした。当初は心臓を狙うために胸部を刺していた。だが、あばら骨に当たって包丁の刃が曲がったり折れたりしたため、途中から首付近を狙うようになっていた。
「あなたは誰なんですか。どうしてこんなことをするんですか。障害者にも心はあるんだよ」。職員が泣きわめきながらやめるように訴えても、植松は手を止めなかった。
「宇宙から来た植松だ。こんなやつら、生きている意味はない」