昨年から今年にかけて、寺田農(みのり)・橋爪功といった文学座出身のベテラン俳優にインタビューする機会を得た。今では日本でも屈指の名優ともいえる彼らにも若手時代があり、「師」と呼べる先達がいた。
両者の「師」的存在といえるのが、芥川比呂志。芥川龍之介を父に持ち、当時まだ日本で紹介されていなかった海外の戯曲や演技論にも精通していた、新劇界きってのインテリ俳優である。芥川は体が弱く、舞台で主役を張ると終演後に入院することが度々あった。そのため、杉村春子ら同時代に活躍した新劇俳優たちに比べると映画やテレビドラマへの出演は限られてしまい、その演技の真髄を後の人間が知る機会は多くはない。
伝説の名優――芥川が役者としての第一線を離れてから生まれた筆者にとっては、それが彼への印象だ。「凄い役者だった」という評価は耳にするものの、その様をあまり目の当たりにできていないため、「伝説」にしか思えないのだ。
今回取り上げる『煙突の見える場所』は、そんな芥川の往年の姿に存分に触れることのできる作品の一つである。
舞台は北千住。黒煙あげる巨大な煙突を近くに仰ぐ堤防沿いの貧しい町に暮らす隆吉(上原謙)、弘子(田中絹代)の夫婦と、その二階に下宿するそれぞれ独身の健三(芥川)、仙子(高峰秀子)の二組の男女の心模様が描かれていく。
健三は仙子に恋をしているのだが、仙子は気持ちを知りながらはぐらかしてばかり。「仙子さんに気をとられるな」という張り紙を目にしても「綺麗な字ね」と返してきたり、「(僕のことが)好きなのか嫌いなのか」と問い詰めても答えは「どっちも本当よ」……。「愛情を信じられないシッカリ者の女」に振り回される「付和雷同なお人好しの男」という設定になっている。
面白いのは、芥川がこれを演じたことで、旧作邦画の青年像にありがちな「朴訥とした田舎者感」が消えていることだ。恋に悩む時の、痩せこけて憂いを帯びる横顔は父親譲りで、まさに文豪。日本人離れした目鼻立ちとエレガントな着こなしも相まって、芥川の姿がロンドンの街角にいるインテリ紳士のように映るのである。その結果、町も人も戦後の傷痕を残す劇中の北千住がオシャレな空間にすら見えてきて、「貧しい下町を舞台にした人情噺」であるはずの本作がまるで「都会的に洗練されたロマンティック・コメディ」のように思えてしまう。
新劇の公演で翻訳劇を演じた時も、芥川は同様にして舞台上をヨーロッパへと変貌させ、観る側にここが日本であることを忘れさせてくれていたのではないか……。そんな想いを馳せたくなってくる。