案のじょう、上田さんは、今まで訪ずれて来なかった私の水臭さがたいそう不満だったという口ぶりで、私がお訪ねしたことをたいそう喜んでくださるのでした。
御ひいきのお客様と女優という立場ではなく、すでに以前から女同志として、心を割ってお話しし合うなかではありましたが、それだけに、私には、いや、私の気性として、甘えてはならぬという自制心がありました。
物を、プレゼントされることや、御ちそうにあずかることを、さも当然のことのように考えるのは昔も今も変わりないことで、芸能にたずさわる者の特権とでも心得ている人が、あとを絶ちませんが、私は、それをつねづね大いに悲しいことに思っています。
「水のように」変わらない関係と友情
お返えしのできないものなら、はじめからお受けするのを固く辞退するのがほこりというものではないか、と信じていますので、自分に力の備わらないうちは、上田さん訪問もさし控えていたというわけです。その日以来今日まで12年間、上田さんと私とは、水のように、変わらない御交際をつづけさせていただいています。
上田さんは、自分の家のすぐかたわらへ、私が家を建てたいという望みを持って来たことをたいそう喜んでくださり、さっそく、嵐山の旧家で、嵐山のことならなんでも知っておられる、福井さんという大きな材木屋さんへ、私を引っぱって行ってくださるのでした。
「アチャコのおかあさん」への温かな激励
福井さんの家では、その日何かお祝い事があるとみえて、玄関に来客のはき物がそろっていましたが、上田さんが私を連れてきたと申されると、とにかく上がってくれとのことでした。
福井さんの次男のかたが、慶應義塾を受験されて、さっき、帰宅されたばかりで、そこが前祝いの席だと知らされて、上田さんも私も大恐縮で、またの日をお約束しておいとましようとしたのですが、御主人も奥様も口をそろえて「あなたのアチャコ青春手帖のおかあさん役、家中がファンで、毎週たのしみに聞いています。おさしつかえなかったら、気がねなくゆっくりしていってほしい」と、御好意にあふれた御あいさつ、そして、床の間を背負ってさっきから温顔にほほえみをたたえて私を見ておられる僧衣のかたを、御主人が御紹介くださるのでした。
「御存知でしょう、こちらは、天龍寺の関管長様で、管長様も、大の浪花ファンのひとりですよ。きょうはむすこといっしょに管長様も東京からのお帰りみちを、ちょっとお立ち寄りいただいたところです」
ますます恐縮して初対面のごあいさつをいたしますと、関管長も「いや、あんたのアチャコ青春手帖のおかあさんはいい。あれを聞いていると心がなごやかになる。一つ日本国中のファンのために、大いにがんばってください」と、激励してくださるので、私は思わず、涙のこぼれるほど、ありがたいことに思いました。