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 ところが、ある知り合いのかたのつてで、お目当ての高台寺のそれも少々奥にはなりますが、北の政所の廟所のあるあたりに、手ごろの土地が見つかりました。さっそく行ってみますと、値段も手ごろ、土地も、我々しろうと目にはなかなか捨てがたいもののように思われました。

お目当ての土地はあてが外れ…

 川上先生の御紹介で、すでに存知あげている坂井工務店の社長に、その由を伝え、現地を見に行っていただきますと、

「あの土地は、おすすめできません。前に1本、道ができていれば多少考えも変わりますが、今のままでは、豪雨に見舞われたとき、くずれるという心配はなくても、流れる水の防ぎようがありません。あの土地は、おやめなさい。及ばずながら私も大いにいいところを心掛けましょう」

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 という御返事です。専門家の心からのアドバイスですから、これは強行するほうがまちがっています。

 さてそれからは、撮影が中止、ラジオがお休み、ということにでもなれば、朝から弁当持ちであくことなく、京都中のここと思うところを、かたっぱしから当たって歩くことにいたしました。

 それこそ足を棒にして、かんを働かせて目ぼしいところをねらって、歩き回りますが、なかなか並たいていのことではありません。そうこうするうちに幾月かがむだに過ぎましたが、ふと、嵐山のあそこの土地を、もういちど念を入れて聞いてみようという考えが浮かび上がりました。嵐山のあそこの土地、というのがただいまの、現在地でございますが、そこをはじめて自分のお金40万円をハンドバッグに収め、川上先生の御案内で見にきたことがございました。

 そのときは畑地で、御近所の農家のかたが、何かの種をまいていられるところでしたが、私がおそるおそるうかがいをたてると、ときどき私と同じ質問を受けるものとみえて、「持ち主は東京だが、この土地は売りません。土地はあいているが、山が見えなくなるからというので前のあき地も持っているくらいだから」と判で押したような御返事で、仕事の手を休めもいたしません。それならばしかたがない、というので、川上先生と御いっしょに、心を残しながら帰ったところだったのです。

 考えると、矢もたてもたまらなく、その日はちょうど大映のお仕事が早目に終わりましたので、なんとかしてあの土地を譲り受けたい、もうあの土地しか、京都には私の探す土地はない、というような妙に気負い立つような気持ちにかりたてられるのでした。