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“脱小室家企画”によるファン離れ…それでも安室奈美恵が「歌姫」「舞姫」として返り咲けた“決定的理由”

『Jダンス JPOPはなぜ歌からダンスにシフトしたのか』より #1

2021/04/28

SUITE CHIC

 2003年、時間は経ったが、“決断”のチャイムは安室の耳元にようやく届けられた。まさに“届けられた”という言辞がふさわしい。小室ファミリーとはゆかりのない人物が彼女にその企画話を持ち込む。プロデューサーの今井了介(安室が歌う2016年NHKリオ五輪公式曲「Hero」の作者)とラッパーのVERBAL(m-flo)。前段にはこんなやりとりがあった。「日本のジャネット・ジャクソンってだれだろう?」。ある雑談にてふたりは共通した歌手の名をあげると、さっそくスタジオに入りデモをつくる。そして後日そのデモをもって本人に企画を提案、好反応を得られたことから“SUITE CHIC(スイート・シーク)”という特別プロジェクトが生まれた。

 ひと言でいうなら“安室奈美恵のジャネット・ジャクソン化計画”。“安室奈美恵”という商品名ではできなかった音楽に取り組むことを標榜していたことからも、“脱小室家企画”ともいいかえられる。より具体的に説明するなら“クラブ系”“こころで踊る”“気持ちいい”そして“退廃的”。ダンスはもちろんファッションからメイクまで、変えられるところはすべて変えた。

小室時代の“自分”と袂を分かつための挑戦

 たとえばクラブにふさわしい野性味あるダンス。これまでのショーアップされた華美なものではなく、よりシャープなボディラインが際立つムーヴが優先される。ジャネットからの影響はくりかえし述べていることだが、安室がこの世界をめざすきっかけとなったのがジャネットの代表曲「Rhythm Nation」(1989年)のMV。つまりSUITE CHICを始動するにあたってあらゆるイメージが彼女の心中を席巻するなか、その映像、断片があったことは想像にかたくない。

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 おもえば「Rhythm Nation」ほど“退廃的”という形容が似つかわしいものはない。舞台設定が巨大工場のボイラー室。塵ひとつない無機質な空間で、躍動するジャネットとダンサーたちの肉体が鋭い光を放ち、目に見えない世界の闇“人種差別”(テーマ)と相克する。「世界をひとつに、リズムを刻め」。歌詞はダンスとの一体で精と血に変わり、国境を越えストリートを奮い立たせた。

 SUITE CHICを機に安室が取り組むことになったシンギングラップ(歌とラップの中間)も、小室時代の“自分”と袂を分かつために仕掛けた“ストリート”への挑戦だったのだろう。メロディとの一体で歌詞を生かしてきたこれまでとは異なり、シンギングラップの導入によりリズムへの傾倒をさらに加速させる。ダンスへの影響はこれにて必至となり、安室の眼下にようやくヒップホップダンスの道が開かれた。ただしこのとき彼女の胸には“B”というアルファベットではなく、“自由”の二文字がより鮮明に刻まれたにちがいない。