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ダンサーからパフォーマー、そしてアジアへ

 道は険しく、しかしいつまでもトンネルがつづくようなものではない。与えられた“試練”にも出口が見えてくる。ヒップホップには“アンダーグラウンド”こそ至上と解釈する精神風土があるが、安室の現在地がエンタメからそうした“現場”へと移動していることを感知したクラブの若者は、彼女の“リアル”を認めた。ただしくはその“本物性”に圧倒された。音に準じムーヴはカジュアルに、しかしその自然体を維持しながらも“商品価値”を高めるダンススキルは“日本のジャネット”の称号にふさわしく、それでいて安室奈美恵以外のなにものでもなかった。

 SUITE CHIC結成の翌年(2004年)、単独にてアジア・ツアー(台湾、韓国)を初めて成功させたことも転機につながる。とりわけソウル(韓国)公演の反響は、数年後にデビューする少女時代やそれにつづくKポップの飛躍的な成長を踏まえると感慨深い。安室はSUITE CHICの経験を生かし総合演出にも自身の意見を取り入れるようになっていたが、チーム力と芸術性が釣り合うその世界は“パフォーミングアート”ということばにすら置き換えられるもの。これは、いっさいの妥協を許さないKポップの管理的なステージングに通じるものでもあり、よって安室の影響を探るのはごく自然のことのようにおもえる。

©getty

 もしくは安室との因果関係が特定できなくとも、韓国のダンススタジオで起きていた変化との関係は読める。同時期、海外から講師を招く際たとえばアメリカ人と日本人を天秤にかけると、高い確率で日本人ダンサーがえらばれる傾向があった。この背景にはアイドルグループの基本、つまりKポップ成功の鍵となる“グループダンス”がある。精密なユニゾンがあって初めて成り立つものだが、これを得意とするのが日本人であり、韓国のダンス業界ならずとも世界から一目置かれていた。

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 アメリカであるなら個人の能力に力点を置く傾向があり、その結果“まとまり”よりも“ダイナミズム”が優先されてきた。だが有能な日本人ダンサーが海外で活躍するようになると一転、非凡なユニゾンが注目されるようになる。お世辞の習慣のないアメリカ人ですら一様に目を丸くするという点でも、この話の信憑性は高い。

 安室も(かつての韓国も)ジャネットのような米ダンサーを憧憬してきたが、そこには“本場”という先入観や“身体構造”の相違といったものがコンプレックスになっていたところもあるだろう。“自分にない”ものへのあこがれはとうぜんとして、その逆に“彼らにない”ものを見つけ出すこと、それも自分で探すのは容易ではない。しかしアジア進出によって安室は他者性を養い、自己の美点に気づく。その成果は“安室像”の再構築を図った『PAST<FUTURE』(2009年)のチャートアクションによってもれなく証明された。日本人女性初となる、アジア5ヶ国のCDチャート首位を独占。

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