しかし2次元の世界(ゲーム)において遊戯者は対象物を平面的にとらえるため、それとは真逆になる。小室哲哉が表現した“クリック世代”(編集部注:1983年に高学年だった者をコンピューターゲーム第1世代とし、以降の世代にはおしなべてゲーム音[ボタン音]が刷り込まれているという小室哲哉の持論)にならって、ここでは“ディスプレー世代”と呼んでみるのはどうだろうか。アイドルヲタのすべてとはいわないにせよ、彼らは3次元のライヴステージでも2次元の枠におさめ直し考える習慣があるのかもしれない。
“ファンとしての立場を越えない”というハロヲタの自負
“コピー=複写”そのものが2次元だが、ダンスを専門とする人間(ダンサー)にはそもそも“コピー”という概念がない。踊ること、これすなわち“魂の揺らぎ”だからであり、おなじものがふたつとない。そしてそれゆえにダンスが瞬間芸術であるかぎり、振り付けという創作物に対してすら“コピーライト=著作権”を寄与できない所以にもなっている(この問題は根深く、夏まゆみ(編集部注:モーニング娘。立ち上げから育成・指導を担当した振付師)は業界内で奔走してきたがテーマ外のためここでは踏み込まない)。
“ミラーよりコピー”を理念に掲げるハロヲタが、いっぽうで“コピー”に踏みとどまるのは“ダンサーではない”という自覚ではなく、“ファンとしての立場を越えない”という自負が理由にあるようにおもえる。彼らが彼女たちを“ハロメン”と符丁で呼ぶときそのような美学が働くが、その根底を支える彼女たちへの“献身”こそハロヲタ冥利につきるとみていい。
ヲタ芸
総じてハロヲタにとってのオリジナル性とは、あらゆる場面で引き出される独自の“距離間(感)”によって成り立つ。ときに“応援”の範囲を超えさまざまな副産物を生み出し、それは“ダンサーではない”という立場すらひっくり返す。“ヲタ芸”はその最たる結晶であり、アイドルに捧げた振りコピからこんどは自分たちに捧げたダンスを編む。受け身から能動的な創作へと進化する道筋はまさしく独創的であり、アイドル王国を牽引する日本独自の文化として世界に胸を張ってもいい。