ハロヲタの創造的な野心
説明するまでもないことだが、あえて理由を述べるために、また卑近な例として山下達郎の話をここに引く。ライヴ中に観客が合唱する行為に対し山下が示した見解。
「いちばん迷惑。あなたの歌を聴きにきているのではない」。
それでもライヴ中の“合唱”という参加型の鑑賞法はポップス系であるなら根強く残っている。アーティストによってはそれを許し、ある楽曲ある場面によってアーティスト自身がそれをもとめるケースもある。
それでもダンスの世界で合唱ならぬ“合踊”にまでなるということはない。同時にハロプロ以降のヲタ文化の特異性がそこに浮上し、またその特異性を日常性にまで定着させ、さらにはヲタ芸~サイリウムダンスにまで発展させてきたところに、彼らの創造的な野心が垣間見られる。
「自己満足以外の何ものでもないと思います」
山下がライヴ中の合唱に物言いをつけたように、ヲタ芸にまつわる辛辣な意見を自身のブログにまとめていたのが声優兼歌手の榊原ゆいだった。いわく「ステージをろくに見ずに勝手に激しい動きをして達成感を得て帰る……というのは、本当に自己満足以外の何ものでもないと思います」。当事者にとってこれほど耳の痛い話はないだろう。だが禁断の果実をかじったヲタたちを、自己陶酔から覚醒させる妙薬があるのかといえば、それもいぶかしい。榊原の記事の日付は2008年5月20日。それを踏まえるとハロプロライヴの“ジャンプ禁止令”(2020年1月2日より施行)は遅きに失した。
そもそも乗り遅れた青春列車で、過去の時間を取りもどそうと目下謳歌しているのが、彼らハロオタたちなのだろう。ハロメンにハートを射抜かれた劔樹人の自伝的コミックエッセイ『あの頃。男子かしまし物語』(2014年)はそのようなハロヲタ青春録として、こんどは同朋のこころを一打ちした。プロットの完成度によって彼らの姿は無理なく美化されているが、映画版『あの頃。』(今泉力哉監督/2021年公開)になると、青みと輝きがさらに増す。劇場のシートにすっぽり包まれながらスクリーン上の自分たちとどのように向き合うのか。長くはないその瞬間がつづいているときだけ、ヲタ芸の記憶は彼らの肉体からきれいに消えているにちがいない。