昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

2021/04/29

 店内は、がらんとしていて、私たちの姿しかなかった。早速、インタビューを始めた。

「今はもう泉の広場は行ってないですけど、私が立っていたのは、7年ぐらい前から3年ぐらい前までです」

「摘発のことは知ってましたか?」

「摘発ですか? それはまったく知りませんでした。捕まった人がいたなんて、びっくりしました」

 目の下には隈ができ、話し方には抑揚がない。しばらくして、彼女がマスクを外すと、上下両側の奥歯がないことに気がついた。それにしても、彼女の身なりや表情からは、底なしの暗い空気が漂っている。

「ヘルスと広場で月に50万円稼げました」

 みどりが、泉の広場に立った理由は何だったのだろうか。

「石川の出身なんですけど、大阪に遊びに来て、こっちが楽しいなと思って、20代前半の頃に大阪で暮らしはじめたんです。それで、最初は“見えチャット”という、ライブチャットで女の子を探すデリヘルで働いたんですけど、全然お客さんがつかなくて、やめて、梅田のホテヘルに移ったんです。その時に泉の広場のことを知って立つようになったんです」

みどりが立っていた「泉の広場」 ©八木澤高明

 みどりはヘルスの仕事の合間に泉の広場に立ったという。泉の広場では、お茶を引いて帰ることはほとんどなかったという。

「1時間もたたないうちにお客さんが来ましたね。サラリーマンの人だとかおっちゃんだったり、だいだい2万円、ホテル代込みだったんですけど、中には3万円くれる人がいたりして、いい時代でしたね。ヘルスと広場で月に40万円から50万円は稼げました」

「立つのをやめた理由は何だったんですか?」

「ちょうど、その頃子どもができたんです」

「恋人の子どもですか?」

「いや、誰の子かわからないんです。お金を余計に払ってくれれば、ヘルスでも泉の広場でも、コンドームをつけないでオッケーしていました」

 思わぬ発言に、私は一瞬言葉に詰まった。カラオケボックスの中では、名の知らぬバンドの歌がにわかに耳に入ってきた。気を取り直して質問を続けた。

「お子さんは何人いるんですか?」

「実は3人いるんですけど、全員父親がわかりません。最初の子は石川にいた時にできた子なんですけど、実はそれが原因で実家とは縁を切って、大阪に来たんです」

z