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 悲しいかな、僕はそれまで組織のことばかり考えて仕事してきたサラリーマンでした。でも、いつも同じアナウンサー集団の中にいても軋轢がある。「どうしてみんな組織として考えないんだろうな」と思うことが多々ありましたから。だからアナウンサーの組織に戻らずに記者として特派員に出たら「裏切り者のユダ」になると思って、僕は「イヤだ」って言った。そしたら転勤拒否とされて、抜き差しならない立場になってしまった。それで、「この際どうなるか分からないけど、別の世界に生きてもいいか」と思って辞めることにしたんです。

NHKを退職した直後の森本氏(1984年)  ©️時事通信社

裏切り者とされちゃって、NHKは僕を使わない

――NHKを退職した直後にはTBSと電撃的な専属契約を交わして、朝のワイドショー番組「森本毅郎さわやかワイド」がスタートしました。

森本 おもしろいもので、僕がNHKと確執があるという情報をどこで仕入れたのかわかりませんが、TBSの人が来て「あんたNHKの中で揉めているんでしょう? うち来ませんか」って言うわけですよ。それじゃあ、お世話になりましょうかという話になった。

 でも、僕はNHKにどっぷりの人間だったから、当時は僕がフリーになるなんて誰も思っていなかった。だからこそ本当に裏切り者とされちゃって、それ以来、NHKは僕を絶対に使わない(笑)。「石をもて追はるるごとくふるさと(を出でしかなしみ消ゆる時なし/石川啄木「一握の砂」)」ですよ。

森本氏(1985年)。右は作家の宇野千代 ©️文藝春秋

――今もNHKからの絶縁は続いていますか?

森本 ほかの辞めたアナウンサーや記者は今もNHKに出演していますけど、僕はたった1回、BSの番組に出ただけ。そのBSのときも、過去の確執を知らないプロデューサーが僕に声をかけちゃって、断れなくなったんだと思いますよ。それっきりですから。BSに1回出て、局内で「まずいよ」ってなったのだと思う。

――もう雪解けしてもいいのではないですか?

森本 今さら需要もないでしょうけど(笑)。すくなくても、過去の経緯を知っていた人たちが生きていた時代は「あいつだけは受け入れない」と思っていたようです。当時の有名な報道局のお偉いさんは「NHKの人間が外に出て活躍するのはいいじゃないか」と言ってくれたそうですけど、僕のことを可愛がってくれた当時のアナウンス室長とは一切交流がなくなりました。可愛がってくれていただけに許しがたかったんでしょう。昔の仲間が集まって、ときどき食事会をしていましたが、その室長だけは元同僚が声を掛けてくれても来てくれません。悲しいですね。