「番組で何度も都市の再開発問題とか、地上げの問題を取り上げましたけど、今度は日曜午後1時の枠が再開発で地上げにあっちゃった。まあ因果応報ってヤツですね(笑)。僕らのような高齢者ばかりの番組はリストラです。若者へシフトしていくというテレビ業界の流れには抗し切れないんです」
そう語るのは、今年3月28日に地上波での放送を終えた「噂の!東京マガジン」(TBS系)で31年半、総合司会を務めてきた森本毅郎(81)だ。
“テレビ版の週刊誌”をコンセプトに日曜午後1時に放映されてきた同番組は、この時間帯トップの世帯視聴率を誇っていた人気番組。ご近所トラブルや行政の怠慢などの現場を取材する「噂の現場」、若者が様々な料理に挑戦する「やって!TRY」などの名物企画が人気だったが、4月からBS-TBSへ移行することになった。地上波の後番組としては、人気グループSnow Manのバラエティ番組「それSnow Manにやらせて下さい」がスタートしている。
「文春オンライン」のインタビュー取材に応じた森本は、31年半の番組の思い出、地上波を終えた心境、テレビ界が直面している現状について本音で語り尽くした。(全2回目の1回目/#2を読む)
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「僕らのような高齢者ばかりの番組はリストラです」
――「噂の!東京マガジン」の地上波の放送が終了する話が出たときは、複雑な心境でしたか?
森本 いや、いや。それはないんです。これまでも随分、自分の番組が打ち切られたし、自分から降りた番組もある。いろいろ番組の節目を経験してきましたから、いつも「必ず番組には終わりがくる」って意識していますからね。「噂の!東京マガジン」は30年以上も続いていたわけですから、「いつ終わっても仕方がないな」とは思っていました。
ですから、局から「一旦お引き取り願いたい」って言われた時も、私は「あ、そうですか」とさっぱりしていたんですよ。一応やるべきことはやって来たな、という達成感もあった。因果応報というか、僕らも番組で随分と他人様の都市の再開発問題を取り上げましたけど、今度は自分たちの日曜午後1時の枠が再開発で地上げにあったわけです(笑)。言ってみれば、僕らのような高齢者ばかりの番組はリストラですね。若者へシフトしていくというテレビ業界の価値観には抗し切れない。とはいえ、BSで番組が生き残ったのはとても恵まれたことでした。
――どのような経緯でBSへ移行することになったのでしょうか。
森本 番組は終わってしまってもおかしくなかったんです。だけど地上波で「ひと区切り」って話になった後で、BSのほうから「来ないか」っていう話がきた。そこから話が展開したんです。
正直なところ、自分の意識の中では「終わりだ!」と一旦収めましたよ。だから「BSに引っ越し」となると、エネルギーを入れ直さなくてはならない。結構考えましたね、歳も歳だし。今回をもって、テレビの世界からは身を引くのも悪くないかなと。