いまの「横浜」は“3代目”
これはいくらなんでも不便なので、のちに現在の東海道線のルートが建設されるようになる。そうなると横浜駅はスルーされてしまい、カッコがつかない。というわけで横浜駅は少しずつ北へ移転し、3代目の横浜駅として現在の地が定められた。1928年のことである。その頃には入り江は完全に埋め立てられて、ターミナルの周辺として発展を待つのみとなっていたのだ。
こうした歴史を振り返れば、現在の横浜駅(3代目横浜駅)が開業したときには周囲は閑散とし、中心地とも離れていたというわけである。なにもない不毛の地にターミナルができたのだから、海を向いて正面駅舎ができたというのも無理はなかろう。ともかく、当時の横浜駅は周辺事情を見る限りはおおよそ大ターミナルになりうるようなものではなかったのではないかと思う。
改めて東口と西口に出てみると…
いま、改めて横浜駅の“正面”たる東口に出てみると、たしかに正面らしさはほとんどない。せいぜい、横浜中央郵便局が駅のすぐ横にあるということくらいか。かつて郵便は鉄道で運ばれていたので、ターミナルと中央郵便局はだいたいセットになっている。
再び自由通路を抜けて西口に向かえば、そこには広々とした駅前広場。高島屋の存在感もなかなかのものだ。人通りだって東口と比べるまでもない。現在の横浜駅の正面はやはり西口だと言いたくなるほどの光景が広がっている。
「横浜」の陰の主役・相模鉄道
いったいなぜ、横浜駅の正面は東側から西側へと移ってしまったのか。
実は筆者はその答えを持っている。交通新聞社新書『相鉄はなぜかっこよくなったのか』を書いたときに調べたからである。もったいぶらずに言えば、横浜駅西口の隆盛はまさしく相模鉄道のおかげ、なのだ。
日常的に横浜駅を使っている人でもなければ、相模鉄道は横浜駅に乗り入れる6社の中でいちばん地味である。中央通路に出てしまうと、相鉄線の改札口など見ることなく外に出られてしまうので、存在を認識することすらないままになってしまう。相鉄線は南側の通路の片隅に改札口を持っているので、相鉄線利用者はだいたい南側を使う。ただ、それとて片隅なので、意識しなければスルーしてしまうかもしれない。