文春オンライン

昔は海だったターミナル「横浜」が“ナゾのダンジョン駅” になった理由

“日本のサグラダ・ファミリア”はどうして生まれたのか

2021/05/10
note
 

 順当に考えれば、横浜駅の正面は西口である。駅前には広大なバスのりばを兼ねた広場があるし、ホテル・百貨店・ヨドバシカメラといかにも正面らしいものが勢揃い。2020年にはJR横浜タワーという巨大な駅ビルも完成し、繁華街も西口側に広がっている。どう考えても、正面は西口である。

 東口側にはルミネに地下街、その先には首都高速道路の高架にそごう。駅のすぐ横にはご存知、崎陽軒の本社があったりはするのだが、人通りやら駅前広場の立派さなどを考えれば正面とは言い難い。

 だが、歴史的には横浜駅は東口こそが正面だったようだ。古い地図を見ると駅舎が東側に最初にできたから、としか説明しようがないのだが、間違いなく東口が正面だったのである。

ADVERTISEMENT

 

 そごうの先はもう海、という東口がどうして正面だったのかはよくわからない。なのでここからは完全に推測になってしまうが、それは港町・横浜としては海に面している方角こそが正面であるという意識があったからではなかろうか。

 横浜駅の南東、現在はみなとみらい地区として横浜屈指の観光地になっている一帯は、かつて広大な貨物駅になっていた。貿易都市としての面目躍如、やはり港町のターミナルは海に近くて意味がある。

 ならば、なぜ今では横浜駅の西側が正面っぽくなってしまったのだろうか。その答えを探すには、そもそも横浜の中心とはどこなのかを考えねばなるまい。

小さな漁村に訪れた「開国」

 横浜は江戸時代まではごく小さな漁村に過ぎなかった。神奈川や程ヶ谷といった東海道の宿場町はあったが、今の横浜の隆盛なぞまったく想像もつかないような寒村だった。発展のはじまりは、幕末の開港地のひとつに定められたことにある。

 外国と日本を結ぶ玄関口になれば、たくさんの外国人がやってくる。その中心になったのは、関内や元町と呼ばれる一帯、すなわち横浜駅とは少し離れた南にあった。ついで、その周囲に市街地が形成され、伊勢佐木町などは今にも続く横浜伝統の繁華街である。

 その頃、現在の横浜駅のあたりは海だった。

「横浜駅」という名の駅が誕生した1872年頃の地図を見てみると、現在の横浜駅のあたりには線路が通っているだけである。入り江の中、海の上に線路だけを通したような形になっていたのだ。当時の横浜駅は、現在でいうと桜木町駅の場所にあった。

明治期の初代横浜駅 ©共同通信社

 しかし、鉄道が横浜以西に延伸すると、桜木町駅付近の初代横浜駅はいささか不便に過ぎた。丘陵地に阻まれて西側に線路を延ばすには適していなかったのだ。そこで当初はやむなく初代横浜駅でスイッチバックをしていたという。