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 なぜ2人は今になって支持されたのか。そして、「かまいたち」というコンビの本当の実力とはどんなものか。自らの手で時流を捉え、見事に這い上がった彼らの軌跡を振り返ってみたい。

「極端な二面性」を持つ濱家

 かまいたちの成功は、それぞれの性格の違いを外しては語れない。それは、2003年に入学したNSC大阪校在学中から顕著に現れている。

 社交的な濱家は、ツッコミもボケもこなす器用なタイプ。同期であれば誰もが濱家を認識していた。逆にそれが災いしてか、頻繁にコンビ結成・解散を繰り返したようだ。優等生組であるAクラスに上がったかと思えばCクラスに下降し、少ししてまた上がるといった日々を送っていた。

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 2020年8月に刊行された「Quick Japan」(Vol.151)のインタビューの中で、当時の濱家を「やんちゃで勢いあるし、かわいいという印象でした」と振り返るのはアインシュタイン・河井ゆずるだ。また長年の付き合いの中で、濱家が極端な二面性を持っていることに気付いたという。

「性格は男らしくて兄貴肌なんですけど、同一人物とは思えないぐらい、異常な恋愛体質なんですよ。つきあっている女性にすごい左右されて、服装も変わるし、体重も増減する。彼女と別れるたび大泣きしますし」(同前)

結成間もない頃のかまいたちの2人(2005年11月) ©産経新聞社

笑いを冷静に分析できる山内

 一方の山内は、NSCの1年間をCクラスで過ごした。同期の藤崎マーケット、天竺鼠、アインシュタイン・河井らは、濱家から紹介を受けるまで存在そのものを知らなかったという。

 山内がAクラスに上がれなかったのには理由がある。ウケが今一つだったのに加え、講師を逆なでするような行動を取っていたのだ。とくにある講師の言った「やってはいけない五か条」を破るネタを披露した際には、こっぴどく叱られたという。

「多分オレ、先生に嫌われてたんやわ。(略)その先生がやったらアカンっていうCMネタ、物まねネタ、下ネタとかの5つを全部入れ込んだネタを僕がやったから」(「お笑いポポロ」2006年5月号、山内健司インタビューより)

 地元・島根にいた頃も、奈良の大学時代も「自分が一番面白い」という感覚があったという山内。NSCに入ってウケない日々が続いても、「面白いはずなのに」と自分を信じて疑わなかった。言い方を変えれば、“笑いに対する洞察力”に自信を持っていたのだろう。