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 まずはセオリーどおり「最近、騒音がするとの苦情が出ています。とくに深夜の騒音は住民の迷惑となります。住民としてのマナーを守りましょう」といった、当たりさわりのない警告文(*3)を掲示した。

*3 誰が読んでもなんの痛痒も感じない警告文に効果はない。いつぞやも騒音についての警告文を読んで「まあ、ひどい人もいるのねぇ。近所迷惑だってわからないのかしら」と当事者であるところのご婦人がのたまった。自分だと気づかれないうちは、知らぬ存ぜぬを決めこむ人が大半なのである。

 これでも収まらない場合は、第2弾の文言を掲示する。「依然、騒音問題があとを絶ちません。深夜および早朝の騒音は安眠妨害となり、人権問題にも発展しかねません。心当たりのある方は、良識ある対応をお願いします」

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 少しだけキツイ言葉を用いて注意を喚起するわけだ。

 たいていの場合、第2弾の警告文で収まる。なかには「すみません。あの音はうちからのものでした。子どもが言うことを聞かなくて。これから気をつけます」などと謝りに来てくれる人もいる。

 しかし、これでも大谷さんからの「階下がうるさい」という苦情はやまなかった。おそらく私以前の管理員さんはこの第2弾程度の警告文で終わらせていたのだろう。

 私はさらに踏み込んだ内容を貼り紙にして掲示した。「南棟の9階以上の上階で深夜、動力ミシンのような音がするとの苦情が出ております。心当たりのある方は、くれぐれも良識ある対応をお願いします」

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 効果はてきめんであった。

 掲示して1週間後、「階下から以前のような音がしなくなりました」と大谷さん本人が管理員室を訪れて報告してくれた。

 きっと音を出していた張本人である益田さんは自分が特定されているという恐怖を感じたのであろう。みんなから白い目で見られることを嫌う心理が益田さんの深夜作業をストップさせたのである。

犬猿の仲:ある住民紛争の顛末① 「隣家の騒音でノイローゼに」

 警告文の掲示だけでは解決がつかない場合もある。

 石川さんと須藤さんは、隣同士で犬猿の仲―。

 前管理員さんからの引き継ぎ(*4)によると、「石川さんが被害者で、須藤さんが加害者」ということになっていた。「須藤さんは、石川さんの幼い息子さんでも見かけると大きな声で怒鳴りつける。だから、守ってやらなければ―」というのであった。

*4 基本的には管理業務マニュアル(管理会社が独自に作成したもので、社外秘となっている)に載っていないような、その物件に特有な事象が説明される。たとえば、どこそこにどんなクレーマーがいて、どんなことを言ってくるのか、理事長はどんな性格の持ち主か、新理事の選出の仕方などなど、書きだしたらキリがない。

 ところが、新任管理員である私のところにやってきた須藤さんの話はまったくの逆。そして、イメージも逆なのだった。

 自営で保険業を営んでいるという須藤さんは物腰も柔らかで、言葉づかいも丁寧。紳士然とした中年の男性で、高慢な住民にありがちな、管理員を見下した態度などまったくないのだった。

 須藤さんの弁によると、夜な夜な石川さんの幼い息子が一定期間をおいて壁を叩く音で、家族全員が不眠状態に陥り、奥さんはノイローゼで、息子さんも不登校に。にもかかわらず、前の管理員は石川さん一家に依怙贔屓し、その息子を自分の息子かのように可愛がっていた、というのである。

 相当、恨みがこもっているのは話を聞いているだけでも伝わってきた。

 しかし、ここまではまだ“まとも”だった。