亡くなる11日前
「探りに来た感じがしました。雰囲気と言うか臭いと言うか。弔問なんだけど、口封じという印象ですね。『マスコミに気をつけなさい』『1回(情報を)出したら大変なことになります』と、そんなことばかり。名刺はいっさい置いていかなかった。玄関まで送った時も最後までマスコミのことを言っていました。私は本音では『トッちゃんは死んだんやなしに殺されたんや』と思ってましたけど、財務局の人には『表立って何かすることはありません。アドバイスに沿います』と答えたんです。急に敵に回したら怖いじゃないですか。妹がどうなるかわからんし、それが一番怖かったんです。(手記は)ずっと表に出さんと思っていたけど、妹の気持ちが一番じゃから。応援せにゃいけん。その辺は女の方が強いですね」
そしていよいよ「大好きな義母さん」、雅子さんの実母(78)の登場だ。俊夫さんの印象は?
「ほんとに優しい。娘をすごく大事にしてくれた。何も言うことはありません」
表情からも感謝の気持ちがほとばしっていた。活動的で、赤木さん夫婦とよく一緒にいろんなところへ出かけたという。改ざんのために俊夫さんが初めて呼び出されたあの日も一緒にいた。
「梅林公園にいてね。いきなり『出ていかにゃいけんから』言うて、急いで出かけていった。仕事のことは何も言わんから。でも普通の様子でした」
その時はまだ、まさか公文書の改ざんを命じられるとは知らなかったのだ。
亡くなる11日前、2018年2月24日。赤木さん夫妻は岡山でお母さんと兄一家と会食している。その時の俊夫さんは以前の明るさがすっかり影を潜め、暗くうつろな表情をしていた。巻末の俊夫さんの略歴の上の写真はこの時のものだ。
「あの時はもう、遠ざかって逃げる感じでした。影が薄い感じ。やせてたしね」
会食に同席した親族全員が同じことを感じていたという。その時に撮った写真が、俊夫さんの生前最後の写真となった。
では、死の前日に話したことは? 休職中だった俊夫さんだが、翌日はテスト出勤する予定になっていた。
「亡くなる前の晩に電話があったんです。『あしたは仕事じゃないんじゃ。検察じゃ』と言ったと思います。長くは話さずに終わりました。後で思ったのは、普通は仕事に行ける言うたら(病気が)少し楽になったと(私が誤解して)思うから、そうじゃないんじゃ、検察じゃ、と言いたかったのか……その時は意味がわからなかった」