昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

特集女芸人の今

2021/06/06

女が少なかったから、「何でもいいから参加してこい」と

——昔、ラジオで南原(清隆)さんが「内村は若手とチャーハンに目がない」ってよく言ってました。

中島 若手も、みんな内村さんのことが大好きですからね。私は『ウルトラクイズ』の最後の世代なんですけど、若手の頃は「寝たらルー大柴さんにスタンガンで起こされる」っていう地獄のようなロケに、ロンブーの2人やTIM、ネプチューンなんかとやってました。

 素人の延長のような自分が、一気にテレビというすごい変わったシチュエーションに入っていって。女が少なかったから、何でもいいから参加してこいって言われてたんですね。 

 最初は番組アシスタントのオーディションを受けたりもしていたんですけど、オーディションでお会いした当時NHKにいた堀尾正明アナウンサーに「あなたは『自分が、自分が』っていうタイプだけど、そんなアシスタントいないでしょ。人の話を聞く仕事より、前へ、前へ出る仕事をしたほうがいいよ」とアドバイスされて。結果的にいただいたアドバイス通りになった気がします。  

 

——体を張るようなものも含め、自分が前に出ていくような仕事。

中島 そうです。その時は深夜帯で『UN FACTORY カボスケ』という番組もありました。パンストかぶったり、水着で飛び込んだり、若手がやるありとあらゆることをやるんですけど、全部コツがあって、一から教えてもらいました。この番組をきっかけにお笑い番組に出していただけることが増えたんですけれども。

 この間テレビでぼる塾のあんりちゃんが「もう(パンスト)かぶるの嫌だ」って、ベタベタな芸風を踏襲したくないって言いながらも無理やりやらされてたのを見ましたけど。確かに世代が離れすぎてて、そういうふうに見えるんだろうなと思った。

 私らの時は、まだ自分がみていたテレビとギリギリ陸続きだったので、ほぼ意識なくやってましたよね。自分が好きで見てたから。ただ、私「おでん」は知らなかったんですよ。 

——熱々おでんのことでしょうか。 

中島 そう。だいぶ仕事が増えてから知ったんです。鶴太郎さんが大阪の番組でゲストにいらっしゃることになって、鶴太郎さんが来られるっていうことはおでんがセットなのかなとは思ったんですけど、でも私、おでんの段取り知らなくて。それで(ネプチューンの)名倉君に電話したんです。

 

「おでんのセットを用意してみたいんやけど、どういう段取りすればいいの?」「ゲストに芸人おる?」「おさるがいた気がする」「おさるは分かってるから、まずおさるに振って、その後お前が続け」。「こんにゃくの次は」とか「一番したたるのは」とか、それを名倉君に教えてもらって。「どんな電話やねん」「そんなんも知らんのか」とも言われましたけど(笑)。

 芸人だし、お笑いは好きなんだけど、そういう大事なことは知らなくて。でもMCはなぜか知らないけどちょっとできちゃったんですよ。できちゃったと言うと偉そうですけど。