何かとお騒がせなニュースが多い華原朋美。最近はバラエティ番組やYouTubeチャンネルで見せる無防備さにヒヤヒヤする。朋ちゃんのように、コンディションの悪さを「そこまで見せんでええねんで」と言いたくなるくらい晒す人は本当に珍しい。

 だが、それでも華原朋美のイメージはやはり「歌の人」。周りに「華原朋美ってどう思う?」と聞くと、もちろん「お騒がせの人」「不安定」「近くにいるときっと大変」という答えは返ってくるが、多くの人が「なんだかんだ歌声大好き」「時々むしょうに聴きたくなる」と付け加える。これって本当に凄いことだと思った。

 多分私が想像する以上に、朋ちゃんの歌の魅力のすそ野は広い……。

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 ということで、改めてこれまでの楽曲を聴いているが、愛情が面倒臭いほど溢れている彼女にしか出ない呼吸と湿気がある。重量があり、ぶるんぶるんとゼリー状の重さと柔らかさを感じる高音のビブラートは唯一無二だ。

表参道ヒルズのイベントでライブを行った華原朋美(2013年撮影)

JPOP黄金期にヒットした「I'm proud」

 華原朋美が「I'm proud」で爆発的ヒットを飛ばしたのは1996年。まさにJPOP黄金期真っ只中である。

 この頃のヒット曲を調べてみると、タイトルを見るだけで「うぉっ」と声が出てしまった。グワッと黄金に輝く音符の洪水が押し寄せてくる感じ!

「LA・LA・LA LOVE SONG」(久保田利伸 with ナオミ・キャンベル)「チェリー」(スピッツ)「情熱」(UA)「Body & Soul」(SPEED)「YELLOW YELLOW HAPPY 」(ポケット ビスケッツ)「JAM」(THE YELLOW MONKEY)「恋心」(相川七瀬)「アジアの純真」(PUFFY)「バンザイ」(ウルフルズ)……。

 ほぼほぼサビがソラで歌えるレベルのヒット曲がズラリ。私自身もこの時期はCDを借りたり買ったり忙しかった覚えがある。確かシングルCDは8センチの縦長で、パキッと二つに折れる仕様だったが、折ったらジャケットの見栄えが悪くなるし、長いままだと収納に困るし。次第にマキシシングルが登場し淘汰されていったが、あれは当時の業界の、どういった都合であんな形になったのだろう……。

 ちなみに1996年で検索をかけると「感染」というワードが出てきて、なんだなんだと調べてみたら「O-157」が大流行した年であった。

 話が逸れた。戻そう。こんなすさまじい名曲ラッシュのなか、女性ソロでオリコン年間1位に輝いたのが華原朋美の「I'm proud」だった。彼女を真似する「カハラー」なる女の子たちが続出し、誰から見ても、キラキラと輝く時代のヒロインだった。