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小沢一郎の思惑

「もともと寺田さんが秋田県知事になったのも、小沢さんから強くすすめられたからだね」

 そう説明するのは、取材当時、秋田県議だった山内梅良(共産党)である。

「寺田さんは、長男を小沢さんの秘書にし、衆院選にも出馬させた。長男は落選したけど、それほど近かった。まあ小沢さんにとっては、寺田さんの長男を、建設会社をやっている親父から資金を吸いあげるポンプ役というか、パイプにしようとしたのかもしれないけどね。寺田さんが知事になる前の創和は、本当に小さな建設会社だった。面倒を見て大きくなったらカネをよこせっていう話でしょう。そのとおりに会社は大きくなったですもんね」

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 寺田社長時代の創和は86年3月、小沢のひざ元で経営不振に陥っていた岩手県水沢市の「久中建設」を吸収合併した。そうしてますます小沢事務所との関係を深めていったといえる。長男が新進党から出馬したのは、96年10月の総選挙だ。このときは、対抗馬の自民党代議士、村岡兼造に敗れている。

 その創和の小沢事務所における窓口がほかでもない、高橋嘉信だ。高橋は大久保隆規の前の小沢の金庫番であり、ゼネコン担当でもあった。

 一方、小沢一郎にとって、創和やそのグループ企業は、有力な後援企業という位置づけにほかならない。有体にいえば、スポンサー企業である。政治家に転身した寺田は、創和の社長から退き、表向き経営にはタッチしていないことになっていた。だが、むろん関係が切れたわけではなかった。

裏金の額は相場の倍

 胆沢ダムという一大事業は建設業者にとって垂涎の的である。先の水谷建設元首脳にとっても同じだ。こう続ける。

「ダム工事の下請けに入るための受注工作には、いつものようにあいさつ料というか、調整金が必要になりました。その資金は、二次下請けの創和が一次下請けの水谷に対し、工事の受注額を上乗せして請求して捻出する手はずになっていました。水増し発注して浮いた分を工作資金にするというやり方です。ふつう上乗せする請求額の相場は5000万円程度ですから、そう思っていました。ところが、向こうの請求した額は1億円ほどになっている。相場の倍です。ずい分ふっかけてくるな、というのが正直な感想でした」

 水谷建設が前田建設から一次下請けとして受注した工事費は、およそ14億円だった。そのなかから、調整金という名目の裏金を捻出しなければならない。通常の裏金相場は受注額の3パーセントだから、4200万円という計算になる。それが1億円だという。水谷建設元首脳が相場の倍という意味はこれである。

 水谷建設が創和に対して水増し発注し、その大半が裏金に化ける古典的な手法だ。くだんの胆沢ダムの基礎掘削工事では、二次下請けとして水谷建設から工事を受注した創和が、その裏金づくりの任を担ったことになる。

 となると、1億円前後の裏金は、小沢事務所への工作資金に消えたのだろうか。業界側の談合の仕切り役である鹿島建設東北支店幹部と小沢の秘書である高橋、それに水谷功を加えた三者会談で何が話し合われたのか。そのあたりの経緯について、水谷功にぶつけてみた。