「三者会談なんて嘘っぱちだよ」
「高橋さんは、創和にしてやれるんはこれが最後や、とも漏らしていました」
水谷功本人は、そうも言う。三者会談があった02年10月は微妙な時期だ。「これが最後」という高橋の言葉には、秘書として力をつけ、国会議員になった高橋と小沢の間に生じた亀裂が背景にある。
小沢の金庫番といわれた高橋に聞いた。答えはこうだ。
「俺はそれまで小沢一郎の指示でやってきただけ。だけど、胆沢ダムなんて一切知らない。なにしろ小沢は、俺が議員になって2カ月半後の(00年)9月には、岩手県の建設業界に『高橋嘉信とは関係ない』という手紙を2000通も送りつけたんだから。それ以来、口も利いたことがない。水谷とは一度だけ鹿島の紹介で会ったことがあるけど、胆沢ダムなんて関係ないし、三者会談なんて嘘っぱちだよ」
そして、攻撃の矛先を創和の元社長、寺田に向けるのである。
「なんだかんだ言ったって、実質的な会社のオーナーは寺田典城だよ。その世界にどっぷりつかっていた人なんだからさ。当時、小沢と切れてたはずない。長男を秘書にし、次男を議員にした。次男の学の出馬(03年11月)は民主党になってからだよ。それで小沢と切れていた、なんてありえると思う?」
水谷の工作について、かつての盟友たちの話は、真っ向から食い違う。寺田は高橋が関係しているといい、高橋は寺田の関与を匂わせる。だが、胆沢ダム工事における小沢の影響力だけは、2人とも否定しない。水谷建設が用意した「1億円の水増し調整金」も、小沢一郎を巡る政治とカネ問題の一端ということなのだろう。
談合のボス「鹿島建設」への工作
建設談合は地方ごとに業界を牛耳る仕切り屋が存在してきた。三重県桑名市の水谷建設は、もともと東海地方や北陸地方で業績をあげてきた会社であり、東北には足場がない。小沢事務所とともに東北の談合を取り仕切ってきた鹿島建設へのパイプも細い。水谷功は、胆沢ダムの工事を受注するにあたり、談合のボスに対する工作が必要だと考えたのかもしれない。そのために奇想天外な手段を使っている。
「森岡さん、悪いけど、鹿島の東北支店に行ってもらえんやろうか」
水谷功からそう頼まれたのが、森岡一智である。森岡は三重県選出の自民党代議士、山本幸雄の秘書だった。そこから代議士時代の北川正恭事務所に移り、長年、政界に身を置いてきた。その後、北川は三重県知事に転身したが、森岡は国会議員時代に当人に代わって汚れ役を引き受けてきた昔ながらの秘書だ。よくいえば政治や行政に通じた事情通、悪くいえば政界ゴロに近いブローカーである。