水谷流マッチポンプ
その森岡は、同じ三重県出身の水谷功とも親しかった。水谷が全盛期のころは、マカオや韓国のカジノで豪遊してきた水谷ファミリーの側近の1人だ。済州島のディナーショーにも常に同行し、大阪トレーディングの佐川らといっしょに写真におさまっている。水谷の指示により、香港のホテルに出向き裏金を運んだことまである。
水谷建設が東北に進出するにあたり、水谷功が森岡に対して依頼した。
「鹿島の東北支店にクレームをつけてもらいたい」
森岡は水谷からそう頼まれた。
苦情処理は秘書時代から森岡の得意とする分野であり、森岡は逆にそれを利用してきたこともあった。民間企業は監督官庁に弱い。建設会社なら国土交通省や地元の自治体からの行政指導や処分を恐れるのが常である。秘書生活を通じてその基本構造を熟知し、官庁にも知り合いの多い森岡は、それを利用して企業を攻撃する術を学んだ。水谷はそんな森岡の手練手管に期待していたのだろう。
「どのような理由で森岡さんが鹿島に乗り込んだのか、それは鹿島側も言わないので、わかりません。でもたしかに鹿島は彼を恐れていました」
水谷建設の元東北支店幹部は、そう明かす。
森岡が仙台にある鹿島建設東北支店に乗り込んだ際、受付にある防犯カメラが、森岡と鹿島のやりとりの模様をとらえていたという。
「当時の水谷建設東北支店長が、その録画ビデオを見せられたらしい。水谷建設の支店長は鹿島建設に呼び出され、『この人は水谷さんと親しいそうですね。なんとか押さえてもらえませんか』と相談されたといいます。先方もそれ以上のことは言わないから、こちらは事情を詳しくのみこめないけど、聞くわけにもいかない。ただ、鹿島から相談されれば、こちらにとっては貸しになります。それを狙ったのは間違いないでしょう」
クレーマーを使って騒動の火種を起こし、相手が対処に困ると苦情の火を消す。典型的なマッチポンプだが、鹿島建設側にもそれなりの弱みがあったのだろう。水谷はそれも計算ずくだったに違いない。そうして相手を取り込んだ。
こうして水谷は鹿島建設へのパイプを太くしてきたという。大手ゼネコンでもなく、元請け業者でもない水谷建設にとって、仕事をとるためには綺麗ごとでは済まない。これが水谷流のビジネスのやり方の一端であり、建設業界で通用してきたのもまた事実だ。
政官業のもたれ合いの構図のなかで、水谷功は裏工作を引き受けてきた。名だたる大企業や政治家たちにとって、利用価値があったからこそ、この政商と奇妙な関係を保ち、交わりつづけてきたといえる。
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