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2021/05/27

 ──それは「任せるよー」ってかんじか、そうかそうか。

 だから条件に合わせて。でも、ホテル代込みの2万とかって、自分は多くとりたいから、安くて、またきれいなところに行ったりとか。そんなのだったから。

©iStock.com

 春菜たちが客とセックスするという「援助交際」で設定した金額は、1万5000円か、ホテル代込みで2万円という沖縄では相場とされる値段だった。使用していたホテルの休憩料金は、3000円か3500円だったので、ホテル代込みのほうが少しだけ春菜の取り分が多くなった。

精神的に不安定になっても家に帰ることができなかった

 仕事は順調だった。でも春菜はこの時期、発作のように泣きじゃくってしまうことがあったと話している。

 この薫っていう子と一緒にいたときも、急にこんなの(=パニック)があって、もう、息ができないぐらい泣きじゃくってた時期があって。(中略)あのとき、「仕事は仕事!」(ってわりきっていた)、でもつらかったし。

 父親から、連絡をもらうことはなかった。でもときどき、2番目のお母さんであるマーマーからは電話がかかってきた。話をすると電話口で泣いてしまう春菜を、マーマーは車で迎えに来て、自分の家に連れて帰ってくれた。でも春菜にとって、マーマーの家は自分の帰りたいおうちではない。お母さんと妹が寝静まった真夜中になると、春菜はひとりで家を出て、薫の待つ民宿に戻っていった。

 たまーに、自分のマーマーとかに、家に引き戻されてた。何回か。………2、3回ぐらい。

 ──電話、かかってくるの?

 電話かかってきて、やっぱり、話してたら泣いてしまうから。マーマーが「じゃあ迎えに来るよ」って、迎えに来て。でも、迎えに来てもらったことに安心感覚えて、ふぅって(楽に)なって。「あっ、やっぱいいや」ってなって。それで、マーマーなんかが、寝てるときに、家の鍵閉めて、荷物だけもって、パーって出て行って、また薫のところに戻っていって。「ただいまー」みたいな。………薫は「大丈夫?」みたいな。「全然、大丈夫」みたいな。「いつものこと」、みたいな。

 この時期、春菜が客と落ちあっていたお店やラブホテルは、春菜の家から数キロ程度の距離にある。息ができないほど泣きじゃくっていたこのころ、春菜は家出してきた自宅付近で仕事をし続けていたことになる。その春菜を父親は探しに来ない。春菜もまた、自分では、家に帰ることができない。

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裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち (at叢書)

上間陽子 ,岡本尚文

太田出版

2017年2月1日 発売

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